前回のつづきです。
昔の弟子からいまやっている格技に対する相談を受けて、身体を壊さないようにしてあとはコーチの言いつけを守っておやりなさいとしか言うことが無かったのですが、技術に関してなお相談を受けたので、ならば全部否定すると言うことを言いました。
これは、彼の道の半ばまでには私が力を与えたと言う責任を感じても居たからです。
自分は自分の正しいと思える道に来たので、同じ道を歩んでいたのに間違って見える道に進んだ仲間に、それは違うと思うぞ、ときちんと伝えておきたかったためです。
私が、自分が進んだ道が正しかったと思える根拠は一つには、それが自己の確立、安心立命と言う仏教の行であると言うことが一つあります。
これは、少なくともアジア圏における文化においては歴史的にそこの住人が正しいと感じやすい物です。
同様に、ユダヤ人にはユダヤ教が、回教徒にはイスラム教が正しいとしっくり思えることなのでしょう。
ですので、別の地域、別の時代に育った人間にはこれはまったく正しいとは思えなくてもおかしくありません。
現代日本などはある意味もはや、どのような思想や哲学とも縁が無い大衆の感情だけが優先されがちな状態になるので、私の学んでいることに価値が見いだされなくても不思議はありません。
しかしそこにもし価値を見出すとしたら、それは文化としてです。
自分たちの歴史に千年単位で保持されて来た思想と言うのは、オンタイムの有用性が見いだされないとしても間違いなく歴史的遺産や文化背景としての価値はあるはずです。
すなわち、学問的価値です。
最後にもう一つ、物理的な価値があります。
仏教武術は相対性の物ではない。
強弱、勝敗においては意味を見出さなくて良い。
現代的な想定での勝負でなら、競技としては最新の技術をアップデートした総合格闘技が強いのでしょうし、実用で言うなら最新に更新された軍隊武術が効率的でしょう。
私自身、それらを経てきて今があるのですが、もう二十年以上前のそれぞれの技術は、いまではもう古くなっていて現役で訓練している人には通じないのではないかと思われます。
そのような古い新しいに囚われない面で、中国武術には身体運動としての意味があります。
それらは、現在一般的に行われているすべての格技の運動とは異なる物です。
遠心力を用いる、体重を寄り掛からせる、関節を瞬発させる運動の全てを否定します。
そのような物とは全く違う、別次元のことをしています。
なので、最新の技術で勝敗の世界に適応しようとするほどやってることの距離は離れてゆきます。
スポーツ的な、効率よく成果を求める物とはまったく違うレイヤーのことを行っています。
本物の中国武術とはそのような物なのです。
例えばですが、幼少期から手指の先端を物に打ち続け、成長した後も骨格が変形してすべての指が同じ長さになるようにする練功法があります。
これなどは、大人になってから始めようとしてもすでに骨格が出来た後では出来る物ではありません。
とはいえ、骨格が定まらない子供が率先してこのようなことをやりたがる訳もありません。
現代の認識からすれば児童虐待、人権無視としか言いようが無いような環境でのみ行われる成長の誘導です。
中国の文化とはそのような物です。
武術の家に生まれた子供は幼少時からそのようにして武術マシーンとして身体の全てを改造され、一般の家に生まれた女子は纏足で足を縮められて育てられます。
現代人の思考や環境とは全く別の世界で成り立ってきた体系なのです。
もちろん、私が教えられ、そして伝えている物は成人してから行う物となります。私自身が成人してから学び始めたため。
しかし、学問としての体系は同じなので、コンセプトは一貫しています。
本質的には人体改造です。
遠心力や体重の寄り掛かりや関節の瞬発を否定すると書きましたが、では何を使うのかと言うと改造された人体の能力です。
一例をあげるなら、神経の力を高めます。
これは少林武術には洗髄功と呼ばれるカテゴリーの物です。
如何にして神経を発達させるか。
スポーツ的な考えなら、運動神経や視神経などを訓練するという考え方になることでしょう。
中国には気の思想があり、その具体として東洋医学があります。これが中国武術の背景となる中国伝統の保健体育学です。
神経の能力は臓器に由来するとされます。
臓器には感情に作用するホルモンを分泌する役割があります。
それを引き出すための、運動、呼吸、食べ物、養生など、すべてが備わっています。
それらの結果として神経が補強される。
決して反射神経訓練をするというような即物的なことではないのです。
筋力、回復力、成長性、すべてが現代の格技とはまったく違う考えをベースにしています。
格技のレベルでは想像がつかないことをしています。
また、想像がつく必要がありません。
唯一、この部分を理解してプロ格闘技の興行で結果を出していた例外がヒクソン・グレイシーですが、あくまで例外です。
誰もが見様見真似でヒクソンになれる訳がない。
それを目指してうちにきた人も居ましたが、やはりこの人も武縁が無い。
そんなことを目標にする必要なないのです。
それについては次回にお話いたしましょう。
つづく