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味道LIFE

私は自分のやっていることにしかあまり関心がないし、それ以外のことは知っても忘れてしまうんのであまり専門用語を知りません。

なので「受け止め系」とかの表現をしてしまうのですが、これ、結構意味がある気がしています。

なにかタームで表現されることで、わかったような気になってしまうのは実質少しも進捗していなくて、人をその場に居続けさせてしまうという危険があるのではないかという気がします。

それは××の合気だ、それはテンセングリ構造だ、いまのは外勁だ、北冥神功だ吸星大法だと、分類しただけでわかった気になっても、できなければそこには何もありません。無。0。ナーダ。

大切なのは、自分が取っ掛かりを得てできること、功を深められるということです。

なので自分のやっている鉄線の勁に関してもそれが何なのかはほかの専門用語に置き換えることは中々できないです。

最近、参加してくださる方が少しづつ増えてきてまして、中には功の深い方や身体の重い方も多いので、私も上手に飛ばさないといけないと思ってこれまで棚上げにしていた上の功を意識し始めました。

これは私がやり方を知っているうちでは最上のものです。

これより上は私にはわからない。

だからまぁ、そのうちやろうと思ってほおっておいたのですが、着手を始めた次第です。

結果、どうにか形になっていままでよりよく飛ぶようになってきたのですが、これ、ちょっと身体が震えたように見えます。

いままでやらなかった理由は、震えたように見えるけど実は震わすことで打っているわけではないので、見てる人に誤解をさせてはいけないことと、自分がその動きでぶれてしまう危険性を避けていたからです。

結果としてたまたまそのように見える微調整がある、というだけで、震えそのものには意味がない。

あくまで本質は中身の動かない部分にあります。

世の中には、驚勁のように動くことによって発せられる勁の延長にある、震える勁もあるので、そこと混同をしてしまうと危険です。

そのような震えることによって出る勁のことを、私はまったく知らないのですが、抖勁という名前のものなのだ、と聞いたことがあります。

ですが最近読んだところによると、私がいまやっている結果としてそう見えるだけの発勁もまた、抖勁というのだそうです。

これは困ったものです。まったく違う紛らわしい物が同じ名前で呼ばれている。やはり名前を知っただけでわかった気になるのは危険です。それでは本質をつかんだことにまったくならない。

いまの世の中は、たくさんの情報が手に入れられます。

しかし、それが本当はどんな物なのかは、それだけではわかりません。

どれだけ素晴らしい画質でおいしそうな食べ物の画像が見られて、そのレシピを見ることができても、その味を感じることはできないのです。

武術でも、身をもって勁を受けることを食勁と言い、手伝えに指導することを口移しと言い、功夫の手ごたえを味道と言います。

大切なのはこの味道の部分です。

ヴァーチャルな情報ではない。身体で感じる確かな手ごたえだけが真実です。

それを誰がどう名づけようと、自分自身の功が感じる本当のことだけが自分の本当のライフを作っているのだと思います。


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