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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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自然系と意念系

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 昔の武術雑誌を読んでいた処、心理学者で気功を学んでいるという先生の記事が載っていました。

 この先生の発言で目が開かれたのが、気功には二つの流れがあるということです。

 一つは自然系で、もう一つは意念系だと言います。

 この自然系と言うのは例えば五禽戯などのような動物の真似をすることを重視したような物であったりする、と言います。

 この時、意識は自然に任せていてあぁせいこうせいということはさほどに問われません。

 対して意念系だと精神状態をどうしろこうしろということが決められていて、集約のさせ方や意向のさせ方に要訣があります。

 この、意念系が偏差を起こすので危ないのだと言います。

 確かに。

 偏差を起こした人達の話を聴けば意念系の行の最中に起こしていることが多いようです。

 有名なヨガの先生がやってしまったときにも、やはり内臓に強い意念をかけていた処、そこに症状が起きてしまったと言います。

 私が学んでいる物にも自然系と意念系と両方があるのですが、初期の段階でもっとも私が好んでいて、いまも重要だと思っているのは自然系の静功です。

 いわゆる禅なのですが、心を何にもとどめずに瞑想をします。

 小周天や法輪気功のような物が身体操法には直結した物となるのですが、こちらは典型的な意念系です。

 私が習った順番を振り返ると、まず自然系がある程度出来てからでないとこちらは難しい。

 意念を用いた時に、自然系の時と同じ瞑想状態が出来ていないとたちまち偏差に至ってしまうことが推測されます。

 ですので、やる気満々で意念系に取り組む中国武術修行者の人やオカルト大好き人間の方には、ある種のジレンマが生じてこちらは成功が難しいと思われます。

 また、現代社会人の病として精神疾患を抱えていたり、発達障害やそれに由来する人格障害を抱えている人にはこれら意念系は偏差の原因以外の何かになることはちょっと考えにくいかもしれません。

 私の場合は、とにかく最初に自然系が大好きになって、意念系を教わったときもその正しさが分かっていたこと、意念を無理に働かせなくても自然の瞑想状態にいればそれでいいやと思ってやっていたことがプラスに働いていたことが分かります。

 疲れやすくて欲が少ないという頑張れない性格が適していたのでしょう。

 自己に拘らず、ただ楽な状態でのびのびとリラックスする、ということが本当に大切だと思います。

 でもみんな、小欲やエゴに取りつかれてしまう。

 難しいことです。

 でも、だからこそ、この小欲とエゴで小人たちを扇動している現代社会において、この自分を捨てると言う生き方が大きな意味を持つのでしょう。


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