以前に書いた、鶴拳と太極拳の推手のエピソードにあるように、鶴拳は手が強いと言われることがままあります。
実際にいくつかの拳と鶴拳を併修した人がそう言っていたこともありましたし、私の老師も言われています。
ただ、私はこれとは別の感想を持っていて、鶴拳は足が強くなると感じています。
これは、基として広東南拳があるからそう感じるのかもしれません。
足から手に繋ぐと言う仕組みが軸になっているかて、手も足も両方足としてみなす習慣があるからかもしれません。
前足と後ろ足という同一視が心意拳類の中国武術にはあります。
なので、足を使う時は足が強くなって、手を使っても足が鍛えられます。
なので、私にとってはいずれにせよ足は強くなるのです。
鶴拳の特色としては、手の作用と合わせて浮沈という重心の上下が用いられます。
これを行うことで、地面と脚の繋がりが非常に強くなります。
よって、やはり腕を使うと足が強くなる。
老師などは私の半分ちょっとくらいの体重でしょうが、私がどう頑張ってもその重心を動かすことは出来ません。
そのすさまじい功は、やはり足と地面の繋がりからなっています。
なので私にとっては鶴拳類はやはり、立つこと、そして地面と繋がることが重視された武術であるという印象が強いです。
老師が以前、鶴拳のある立ち方について「これはこのまま立っていれば站椿になる」と教えてくれたのですが、確かにそれをやると腕だけでなく内臓や足などが強くなります。
それはやはり、やり手のやり方によるのかもしれません。
地面と繋がり、地の気を吸い上げるということを行って站椿をすると、非常な効果が得られると思います。
そしてこのことは、尊我斎先生の書いた「南拳は最初に馬歩で立つ練習をするが、これは站椿になる」ということと共通しています。
この、立つ禅である、ということは動く禅である少林拳の本分から考えて非常に重要であることでしょう。