さて、ここまで鶴拳問題を書いてまいりましたが、その周辺のことを実技面からちょっとアプローチしてみたいと思います。
把の系統とそれ以外の系統の見た目での違いを一言で言うなら、それは立ち方にあります(もう一つは勁力の運用に伴う靠の多用)。
一般の少林拳が、平馬と子牛馬(馬歩と弓歩)の二つを基底にするのに対して、把の系統はわりにフツーっぽく立ちます。
これは鶏歩や三体式など、比較的高い姿勢で身体を正面に向け目にしたような姿勢です。
このスタイルは、南進してはW拳や白鶴拳などの福建南拳の立ち方になったものだと想像します。
また、南派羅漢拳のように、ちょっと膝を含んだような弓馬は、この立ち方の変化の途中段階にあったものなのではないかと想像させられます。
と、いうのも、この鶴拳類の立ち方の特徴が一本足であり、両脚で立っていても中身は片足が可能な限り虚の立ち方だからです。内勁の運用が鶴の一足立ちなのです。
この一派に、白眉拳があります。
これは鶴拳類の一つなのですが、特徴として歴史的ヒールキャラクターであるという変わった特徴があります。
このことについてはここでも昔書きましたが、伝説上の開祖である白眉道人というキャラクターが、もとは少林の和尚であったのが、寝返って道人となり、少林に敵対したという逸話を持つ人物なのです。
なので、中華圏では白眉拳というと、怖いとか残酷だとか言う印象で語られることが多いようで、誰もこれを侮ることはないそうです。
今回のお話の趣旨は、この辺りが関係します。
なぜ、白眉拳は少林の裏切り者と言われ、そして開祖の僧は道人と呼ばれることになったのでしょうか?
この白眉拳、大陸系のW拳とそっくりで、おそらくはそのプリミティブな姿であると言われています。
そしてまた同時に、驚くほど形意拳に似ています。
つまり、把が南進して行った過程の拳であると思われるのですが、これが仏教と道教、つまり、いわゆる外家拳と内家拳への変化を意味しているように感じるのです。
ここでちょっと噂を挟むのですが、形意拳はW拳と相性が悪く、腕試しなどをするとどうにも届かないという話があります。
これは、W拳が特別他の拳法より強いということでも、形意拳が弱いと言うことでももちろんありません。
しかしその上で、なぜかどうも功のある形意拳の拳士がW拳には触れないのだと言うのです。
あくまで噂話や一部の体験談で聞いているだけの話に過ぎないのですが、非常に引っかかる物がありました。
そしてまた、形意拳の達人であった王向斎先生も、南に行ったときに鶴拳類にやられたと言う話があるようです。
これは、おそらく南進した時に、把に対するカウンターの技術が付随して研鑽されたのだと思うのです。
つまり、同じ系統の武術に対する破法の特化が、白眉拳の段階で生まれ、以後それが鶴拳類に伝わって行き、さらにはW拳に分派した時に、その独特の戦術が主に把を破ることを仮想として編まれたのだと思われます。
これが、白眉拳の裏切り伝説に秘められたことと、W拳の設立に関する私の仮説です。
羅漢拳が化して鶴拳になったというエピソードも、女子が強い拳士を打つために作られた拳法であるという伝説も、鶴が蛇を捕食する様を見てインスピレーションを得たという逸話も、戦術を持って構造を突くという天敵の創始を意味しているのではないでしょうか。
術としての優劣ではなく、相対的にある物がある物に優位になるということは存在するのです。これは格闘技的な意味においてのことです。技撃上でのカウンターの話であって、物の価値の話ではありません。
これはまた、鶴拳類である猿拳、つまり蟷螂拳が、他の少林拳に技撃で勝るために編み出されたという逸話にも見て取れます。
また、元々は一般には公開されていなかった秘門である白眉拳が普及されるきっかけも、やはり技撃での勝利を目的としていた修行者が後から学んだため、という話もあります。
このように、天敵として普及した直立系の鶴拳類ですが、のちにまたカウンター兵器が登場します。
おそらく、それが平馬系の広東南拳だ、というのが私のさらなる仮説となりますが、それはまた別の機会に。