色々ね、世の中の病とそれを一身に受けて毒に染まってしまった人たちについてを書いてきておりますが、今回またちょっとどうしたことかというトホホな一件がありました。
私たちの青春時代に、衝撃的な歌唱力とリリックセンス、世界観で心を揺さぶってくれた歌姫に関してです。
彼女は元々、世界の腐敗を訴え、生きると言うことへの切実な想いを伝えてきてくれていた人で、真実と向き合う真摯さを持った人だと感じて私たちは驚きを持って支持をしてきました。
デビュー・アルバムでは、彼女がコカ・コーラを飲んでいる写真が歌詞カードにあったのですが、それが引っかかったことを覚えています。
「お前、そんな人じゃないだろう」とか「これじゃただのコマーシャリズムとルッキズムだ」と言うような反応がありました。
なまじ美人であるがために「しょせん美人が上辺て言っていたことなのか?」というような不信感が弱い心に湧いてきたのです。
「いや、これはそういう、アメリカ的コマーシャリズム社会を否定するためにあえてやっていることなのでは?」と言う意見もあり、この問題は長い間寝かされることになりました。
世界の腐敗を訴えて、こんな世界に生まれてきたことを嘆く楽曲の歌詞カードに、可愛くコーラを飲む写真って、変ですよね? そんなことない?
やがて時間がだいぶたって、どうやら彼女はおかしくなったらしい、ということがまことしやかに語られるようになりました。
一般的には社会的成功をしないとおかしくなるというジョーカー現象がありますが、同時に成功によっておかしくなるという人たちもいます。
明らかに彼女は病んでいるらしい、ということが話題になり、やがてその邪推が現実を取られていおり、彼女が精神疾患を診断されているということが公表されました。
こうなってくるとまた話が変わってきます。
そもそものメッセージそのものも、正気からくる社会批判ではなく、単に元々おかしい人が悲鳴を上げていただけかもしれません。
両者はだいぶ違います。
芸術に優劣は付けられませんが、種類の違いと言う物はありましょう。
明確な技術を土台に計算された作品なのか、アウサイダー・アートなのかというのは受け取り手によっては大きな違いではないでしょうか。
このことによって、余計に彼女の芸術作品への評価は棚上げ度合いが高まっていたのですが、昨今、彼女が事件を起こして社会を騒がせました。
パチンコ屋さんで友人と遊んでいた処、友人がパニック障害を起こして昏倒、かけつけた救急車になぜか蹴りを入れて逮捕された、というゴシップです。
まぁ、なんともこう、げんなりするようなアレな感じですが、しかしなぜ助けに来てくれた救急車を破壊しようとしたのか。
これもある種のジョーカーなのでしょうか。
後日された報道によると、どうやら救急車がご友人を搬送しようとしている時に、やじ馬から何か罵声が上がったらしいのですね。
それに対して、彼女は怒りを覚えたために、救急車を蹴った、とのことです。
え、なんで?
救急車関係ないじゃん。
本日からの発信によると「すべて私が悪いが罵声を上げた物は許さない」だそうです。
いや……。
これはダメです。
これは卑怯。
以前も書きましたが、私は若い頃にバカなことばかりして社会に迷惑をかけていました。
それでもその頃の友人の「喧嘩の相手を間違えちゃいけねぇ」という言葉は胸に刻んできました。
その視点から言うなら、彼女はきちんと自分を攻撃した相手を蹴るべきでした。
直接攻撃してくる相手を避けて、自分を助けてくれる、つまり危害を与えてこない抵抗しない味方に一方的な攻撃を加えてやろうという考え方は、極めて卑劣で愚劣な物です。
イジメやDVと言った、甘えた人間のする卑怯な犯行全てに共通する物がここにある。
彼女が訴えて来てくれた言葉は、そのような世の中を否定する物だったはずだ。
この件によって、彼女が完全に病に堕ちてしまい、もはやその輝きに対して信頼を置くことが難しくなったと言うように、長年にわたる問題は置かれることになりました。
日本の社会の一番悪いところを、もはや彼女は一心に体現している。