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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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Age Z Hero

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 大人気アメコミヒーローの映画を観ました。

 私はアメコミ映画極寒の時代からのファンで、テレ朝で1と2が編集されて一本として放送されたフラッシュも、ダサいレッド・スカルが出てくる(原作に忠実ともいう)キャプテン・アメリカも、アン・リー版のハルクもオンタイムで観ていました。

 あっちと違う方のアヴェンジャーズも観ています。

 ですので、アメコミ映画が市民権を得ている今日には本当に隔世の観があります。

 そして、今回観た大人気作品に、盲目のアメコミ・ヒーローがしれっと昼間の職業の方の姿で出演していたことには狂喜しました。

 この映画、主人公は高校生で、今回で三度目のリメイクになります。

 もちろん私は全シリーズ観ているのですが、なんと今回はその全てが一つに集約するお話となっていました。

 冒頭、主人公は悪人の嫌がらせて衆人に正体が暴かれてしまったことをどうにかしてもらうべく、アヴェンジャーズ仲間の魔法使いにお願いをします。

 偏屈な魔法使いは過去のよしみで願いをかなえてくれようとするのですが、主人公の見通しが甘く、やっぱこっちも変えて、あとこっちも追加、と次々にレギュレーションを変えてきた結果、取り返しがつかない失敗を引き起こしてしまいます。

 挙句、主人公が自分自身で可能な努力をほぼしておらず、いきなり魔法使い頼みだったことが判明してこの魔法使いからは愛想をつかされて相手にしてもらえなくなってしまいます。

 これはつまり、主人公に悪気があったわけでも怠け癖があったわけでもなく、ただ「子供」だった、ということなのですが、これが今回のお話において重要になってきます。

 と言うのもこれ、以前に映画のお話で書いた「もう一つのジョーカー」のお話と非常に似通った構造になっているのです。

 以前紹介した映画では高校生がついたささいなウソからことが大きくなっていきましたが、今回も主人公の不用意なチートのために大ごとが起きます。

 魔法使いが「主人公のことをみんなが忘れる」という魔法に失敗した結果、なぜか別の世界から主人公のことを知る怪人たちが次々に現れるのですが、これが過去に制作された別のシリーズの悪役たちなのです。

 でもって、過去シリーズにおける怪人たちと言うのもみんな、考えてみればそもそもは悪い人間ではなかったのに何かの手違いや精神病のために悪い方向に行ってしまったという人々です。

 この物語の主人公もまた、ある失敗によって超能力を身に着けたという少年なのですが、彼と怪人たちとの差はあまりにも狭い。

 中には、主人公が父親のように思っていたり、師匠として尊敬していた人たちが成ってしまった怪人も居ます。

 ではなぜ主人公は怪人にならなかったのかというと、彼は超能力を得て早々、調子に乗って自分のためにその力を使っていた結果、育ての親を死なせてしまったという経験があるためです。

 この育ての親が非常に立派な人物で、彼を良い心を持った少年に育てた上に、今わの際にも「大きな力には大きな責任が伴う」と告げました。

 これがある種のトラウマとなり、彼の正義感を強固に焼き付けたのですが、これってつまり「悲劇の共有」であり「悲しみの効用」なのですよね。

 過去シリーズでの主人公たちに、私は常に感情移入し、つらい気持ちになってきました。

 あまりにも彼が多くのことを犠牲にして他人のために苦労をしてきたからです。

 今シリーズでは良い大人たちに恵まれて可愛がられて楽しくやってきたのですが、その結果、今回自分のために失敗をしてしまいました。

 実際は自分だけでなく自分の周りの人達のためでもあるのですが、それって私事であるというのはこれまで何度も書いてきた通り。

 これは彼がそういうことを知り、理想や希望は持ち前で充分にあるのですが、実際にそれを行動にするには支払う物が必要だと言うことを思い知らされる話になっています。

 理想と希望への支払いをまだよくわかっていない主人公は、自分を襲ってきた怪人たちを捕まえた後、元の世界に還せばそこでそちらの自分に殺されてしまうことを知って彼らの悪を治療して殺されないようにしてあげようとします。

 私が平素保っているスタンスの、悪の多くは凡庸さや発達の障害などの治療や教化の対象である、という考えに通じています。

 魔法使いは「それは本人の選択の結果だから他人が関わるべきではない」というスタンスなのですが、子供の正義を抱いている主人公にはそれが納得できない。

 結果、怪人たち全員を「治療」する前に裏切られて育ての親である叔母を死なせてしまいます。

 この、自分が望んだことを叶えるために生まれた「支払い」に面して彼の希望は怪人を更生させることから殺すことに変わります。

 きっと、多かれ少なかれ多くの人達が共通することを経験しているのではないでしょうか。

 そして我々は大人になり、やがて、この映画になぞらえるならば、怪人になってしまうのです。

 これはつまり、Z世代とブーマーと分断構造でもあります。

 しかし、怪人になりかけていた主人公の前に、別の世界の自分たちが顕れます。

 これ、過去シリーズの主人公俳優が演じてるんですよ。

 みんないい大人になっていて、主人公はそこに自分自身の良いロールモデルを見ます。

 過去シリーズの主人公たちは、みんな愛する人を失い、愛していた人たちが怪人になって自ら殺めて来たと言う悲劇の保持者です。

 その悲しみに関して、主人公の一人は「自分を許せない」と発言しており、その悲劇の上書きが彼を正義の心を持った善き大人として保持しています。

 結果、三人は協力して残りの怪人たちを改心させることとします。

 先に改心させた怪人も協力してくれて、大変ながら心安らぐ結果に落ち着きます。

 しかし、この物語はそんなに夢想的なところには着地しません。

 現れた怪人たちを改心させても、他の世界の怪人たちは無数に存在しています。

 それら全てが自分の世界にやってきては大変です。

 そこで解決のために、主人公は世界中の人が自分のことを忘れるようにしてくれと魔法使いに願います。

 これって、実質死亡のような状態です。

 彼は自分の理想や善意のためには自分を削って差し出さねばならないという支払いの仕組みを体得したのです。

 結果、別世界の自分や怪人たちは元の場所に戻り、主人公は元の世界に一人、誰にも存在を知られていない子供として放り出されて物語は終わります。

 そこで彼は、自分の力で勉強をして自分で社会に溶け込もうとし、同時に再び、誰にも知られていないのに人のためにヒーローとして救済活動をしてゆくと言う形で物語は終わります。 

 終わり方まで、あのもう一人のジョーカー少年と共通しています。

 映画の中では、彼は特別な存在だとして語られていました。

 そんな倫理の在り方は普通の人には出来ないと言うのです。

 では普通とはなんでしょうか。

 超能力の有無でないことでしょう。

 それなら怪人たちも持っていた。

 彼を特別な存在にしていたのはやはり、悲しみの力なのではないでしょうか。

 現実を直視して、痛みを支払うという契約を飲んでこそ、人は善意や倫理を体現が出来るのではないでしょうか。


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