前回までのことをまとめますと、宗族制度と科挙制度の相克によって、中国では女子は後宮に送り込み、男児は科挙に送り込むと言う血族社会の生存策が広まりました。
その中で、女子には房中術や纏足と言った身体面でのアプローチが現れます。
男児に対しては、健康法としての気功や武術が普及してゆきます。
また、科挙に及ばない子息においては武挙と言う軍官登用試験制度があり、そちらにおいては武術の教育が欠かせない物でした。
このようにして、中国の身体文化の教育性と言うのは儒教による制度を背景として成立してゆきました。
これほどの徹底的な血族制度、氏族制度と言うのは本朝ではあまり見ないところです。
昔、韓国美女と付き合っていた頃には、彼女が若く現代的な女性であるにも関わらず、伝統的な氏族のことや家譜のことなどを何かの折に口に出していたことを思い出します。
半島まではこの氏族重視価値観が及んでいたのです。
日本はやはり、フィリピンやマレー諸島と同じく島国として文化が途切れてガラパゴス化したと言うことなのでしょう。
すでに平安時代くらいから、日本では夫婦別姓が解体されているようですし、養子縁組や名前の売買が行われておりますし、近代において全国民に姓が制定されたということもあって、血族と言う物が中華文明のように最重視されていない。
しかし、ここに時制的な視点を向けるとすれば、もしかしたら私たちが知らないだけでそうではないのかもしれない、と思える余地があります。
と言うのも、現在でも保守派の権力者たちがこの国のイエ制度価値観と言う物を固持しているからです。
我々多くの現代人が皮膚感覚といて血族制度に力を感じていないのは、我々が核家族化以後の世代だからかもしれません。
それより前の時代の人々においては、家名や血族というのはもっと強い影響力を持っているのかもしれません。
第二次大戦期には、皇民化政策として植民地諸国に人々から既存の名前を取り上げて日本名を付けるという政策が行われました。
これは、各土地の血族性を解体させようという意図があったのかもしれません。
そこから推察するなら、少なくとも当時の為政者はアジアにおける宗族性の力の強さを理解しており、これに対して真剣に対策をしていたかもしれないと言うことができます。
実際、その頃の権力に依存している現行の議員たちの多くは、地方の有力家系の出身者でしめられています。
地元に帰れば郷土の殿様と言った面々ばかりです。
こうした視点から、実は日本でも巷間とは別の場所で血族と言う身体性を中核とした氏族社会が形成されていて政局を掌握して来たのかもしれない、と見てみると、私にはある存在が物凄く大きな意味を持って見えてきます。
それは、ジブリです。
え?
以降は次回にお話しましょう。
つづく