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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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前世紀英国情報局映画

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 昨年末公開された、スパイ映画を観に行きました。

 割と近年始まったシリーズ作品で、いかにもZ世代的なノリで既存のスパイ映画を茶化してゆくようなバッド・ジョークの強い映画シリーズなのですが、この三作目が公開されたのです。

 しかし、三作目と言いますが実はプリクウェル(前日潭)。主人公の属するスパイ組織が如何にして設立されるに至ったのかを描いた作品でした。

 これはイギリスの伝統的な紳士性を前面に押し出したスパイ組織でしたので、恐らくは歴史的に見て、東インド会社などに関係した話なのではないか、と想像していたのですが、実はこの組織、思ったよりも歴史が浅い。

 第一次大戦の時代を背景とした作品になっていました。 

 さらに言うと、本シリーズで描かれていたような世界情勢を不謹慎ジョークにしたようなお話では無くて(一作目はADHD系ヒップスターIT
IT企業長者が世界を危機に陥れて、二作目ではブーマー熟女が)、物凄くまじめな歴史の授業のような作品になっていました。

 変なギャグとか一切なし!

 オースティン・パワーズ観に行ったら1917が始まっちゃったみたいな感じ。

 実際、映画の中では1917やダンケルクを意識した展開があり、イギリスの食料不足や悪名高い塹壕戦が残酷さたっぷりに描かれます。

 ワンダー・ウーマンもそうなのですが、やはり明らかに現在のパラダイム・シフトにおいて映画界は前のパンデミック下であるスペイン風邪の時代を意識しているようです。

 この映画の歴史観で非常に興味深かったのは、スパイ組織、というと安っぽいですが情報局ですね、この情報局と言うのが実際にどれだけの影響力を持って世界情勢に関与していたのかということが説得力のある描写で語られているところです。

 第一次大戦というのは、これまでも引用してきたワンダー・ウーマンのセリフで言うと「いつものもめ事だと思ってたのがいつのまにか何年も続く戦争になって何十万人もが死んでいる」という物です。

 イギリス、ドイツ、ロシアという国の宗主となった三人のいとこ同士が、あいつが子供の時から乱暴だった、あいつは子供の時にバカにした、などと言う理由でいがみ合っている所にもめ事の火が投げ込まれ、それがどんどん世界中に広がっていった、ということです。

 これはつまり、わずか一握りの特定の血族の人間が世界情勢を握っていた、という白人優位主義が土台にあるというこが見て取れます。

 この反動としてソビエト革命が起き、またドイツ労働党による運動が起き、と市民運動が盛んになって第二次大戦が起きるのですが、そこまでの流れが映画で描かれています。

 イギリスの歴史をさかのぼると、この以前の時代にヴィクトリア期があります。

 資本主義が英国によって広められた時代だ、と以前に書きました。

 この時代、最近読んだ「ドラキュラ崩御」では、女性の商品価値や男性の価値などと言う言葉が流行って人間を売買することが当たり前の認識になった時代として表現されています。

 現代の社畜日本の価値観の土台はここにある訳ですね。人が人であるということを忘れていいんだと皆さんが思うようになった背景がここにあります。

 土台としてその資本主義があるからこそ、次の大戦ではドイツは「労働党」、ソビエトでは「社会主義」という経済価値観を軸とした対立が展開される訳です。

 そのための「資本価値」という概念が蔓延したのがこのヴィクトリア朝です。

 第一次大戦時の戦闘に関しては、これまでも「騎士の戦いの時代」だと繰り返してきました。

 逆に言えば、そういった騎士の戦いが終わったのが第一次大戦です。

 悪名高い塹壕戦でなぜあれだけの死者が出たのかというと、騎士の戦い方に則ってサーベルやナイフで武装した兵士と、騎乗で指揮をする貴族階級出身の将校が新兵器である機銃や毒ガスの前に勇ましく突撃をしていたからです。

 今回の映画の中でも、主人公たちは常に紳士としてサーベルを用いた剣術やナイフによる戦闘の腕を見せつけます。

 ご丁寧にそうやって訓練したシーンの直後に、彼等英国兵が塹壕戦の機銃掃射によって秒でなぎ倒されるモンタージュがあります。

 身体文化の研究の記事としては、ここで彼らのナイフ術について特筆したいと思います。

 昨今、コンピューターゲームの描写を逆輸入したような浅薄な戦闘描写を目にすることが多かったり、またエクストリーム・マーシャルアーツを無批判に転用したような子供だましの格闘シーンが溢れかえったりしていますが、この映画のナイフアクションは本当に説得力のある物でした。

 訓練シーンである、という前提を持って初めて技術の交換がされ、実戦のシーンでは上述の機銃掃射一掃のように、それらがまったく無意味であるということが描かれます。

 逆に言うとホントに、そういう視覚のオヤツ的な甘いサービスが極めて少ない映画です。

 ではどうしてナイフやサーベルが繰り返し描かれるのかというと、それが精神のアイコンだからです。 

 ヨーロッパの人口激減を招いた大戦を情報によって操っている人々が、この作品ではみなフェンシングの名手です。

 銃撃戦のシーンでも、片手に銃器、片手にサーベルというフィリピン武術で言うエスパダ・イ・ピストルのような装備が用いられています。

まぁ、ピストルと言うのは拳銃であって小銃ではないのですが。

 この、騎士と兵士の時代と言うヨーロッパにおける過渡期がここに顕れています。

 作中でロシア革命を迎えるロシアでは、怪僧ラスプーチンが登場します。

 このラスプーチン、作中ではバレエの名手として描かれています。

 かねてからバレエと言うのは西洋身体操法の極致であり、またロシア圏と言うのはそれに加えてアジア的身体操法が取り込まれているのでロシア・バレエはすごいという視点を持っていた私としては、これは実に説得力のある描写だったので史実かと思って調べたのですが、どうもそれを示す資料はありませんでした。

 ただ、ラスプーチンの娘と言うのは高名なバレリーナで、のちにアメリカに亡命した時にはあのグレイテスト・ショーマンこと山師のバーナムのサーカス団にスカウトされて怪僧の娘と言うキャッチを活かした危険なショーを披露していたそうです。

 映画のラスプーチンは、きちんと私の期待通り、バレエで格闘アクションをしてくれました。

 昔、「ワールド・ヒーローズ」という歴史上の有名人たちが格闘戦をするゲームがあって、そこに出てくるラスプーチンがやはりバレエやフィギュア・スケートの技で戦っていたのですが、今回の映画でも同様に見事なターンを活用して戦っていました。

 空手やってる奴なんかよりダンサーの方が強い、というのは90年代の不良少年の間でよく言われていたことですが、まさにその通り。ラスプーチンのバレエによる戦闘は唸らされるものがありました。

 これらから見るに、実にこの映画の製作人は、年表的な考証のみに限らず、実に立体的に時代の知識を考証しているのだなあということが感じられました。

 こういうことで感嘆出来るのは、歴史に興味がある人間のお得なところですね。


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