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ドライブ・マイ・カーのアジア史 2・殺すしかない悪 注・ネタバレ

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 前回はノルウェイの森の背後にある大戦のモチーフについて書きました。

 作者自ら、あれは唯一の恋愛小説だと称しているくらいで、そこでは大戦の気配は限りなく抑えられています。

 しかし、作中ではすでに直接登場しなくなっている重要な死者の存在が、先のパラダイム・シフトにおける死者として読み取れるように感じています。

 言うならば「夏の嵐」のような時代の戦災未亡人物として読むことが出来ます。

 恋愛小説ではない他の作品においては、この大戦の気配はもう少し近くになってきます。

 有名な「羊」シリーズにおいても、その羊というのは決して穏当な存在としては描かれていません。

 羊のサーガを通して読むと、その「羊」というのは人間の心の闇を食う存在として描かれており、クトゥルフ神話作品における外宇宙の神々のような存在であるということが分かってきます。

 デビュー作「風の歌を聴け」において主人公は近代化をしてゆく景色に向かって「お前らは必ず滅びる」と呪いの言葉を投げかけますが、この言葉の向けられた対象、急速な近代化の背後には、この「羊」の存在があります。

 羊は大戦前には北海道の有力者の体内に潜んで彼に「人を扇動する力」を与えて右翼活動を後押しし、満州への侵攻を画策したとされています。

 前述した「風の歌を聴け」に登場する主人公の友人「ネズミ」はこの羊の次の器として選ばれた存在でした。

 ネズミはそのために「羊男」という異形の存在になり、物質の世界と幻想の世界を行き来する半物質の妖怪的な存在になることで外側の世界への羊の進出をとどめる依り代となりました。

 しかし、これと同じ邪悪な意思の存在は、繰り返し春樹作品に登場しています。

 というか、それらに対してどのようにすればよいのかということばかりが描かれていると言っても良いように思います。

「世界の終りのハードボイルド・ワンダーランド」の中では「やみくろ」という謎の存在が現実世界の地下には徘徊しており、邪悪な存在として描かれているのですが、90年代のオウム事件の時に春樹氏は「これはやみくろだ」とコメントしていました。

「ねじまき鳥クロニクル」においては、現実世界に物質的な力として顕現された邪悪として「かわはぎボリス」というロシア人(ソ連人)将校が登場します。

 彼は外蒙古での戦線に従事している将校で、もっぱら拷問を自らの芸術としているという異常人格者です。

 そして、この戦争というのは「羊」によって扇動された人々によって引き起こされた物です。

 以前に書いた「1Q84」では、パラレル・ワールドの80年代の物語として「ビッグ・ブラザーはもう居ない。いるのはリトル・ピープルだ」ということが描かれます。

 羊と言うのは人の体内に取りついて宿主をカリスマ化させ、人間を扇動して悪を振りまく存在でしたが、もはやその大きな悪の主導者「ビッグ・ブラザー」は居ないというのですね。

 羊が居なくても、すでに世間の小人たちの間に悪は広まっていて邪悪な活動をしている。

「ねじまき鳥クロニクル」ではイドでの瞑想によって非物質の世界に移行するに至った主人公が、大衆を扇動する悪のカリスマ政治家の脳天をバットで強打して死亡させますが、そのような「殺すしかない悪」はもう、一人の宿主にあるのではなく、無数の個々人の中に広まっている。

 大衆そのものが、もう悪であるという見解に明確に意向をしています。

「海辺のカフカ」では、そのような悪の存在達とそれらの力を抑えようとする古代の神々のような「概念」の姿が描かれます。

 その様はクリストファー・ウォーケン主演の「ゴッド・アーミー」のようにも見えます。

 近年ドラマ化された小説「アメリカン・ゴッズ」はまさに、この古代の神々と現代社会の相克を描いた物です。おそらく作者は春樹の独者であろうと想像できます。

 カフカでは、やはり超自然の存在が生きる非物質の別世界に物語が至るのですが、そこでこの作品における「殺すしかない悪」の存在は葬られます。

 注目すべきは、そこに至る旅の途中に、大戦からの逃亡兵二人組というのとすれ違うということです。

 羊から逃げてきた人たちがここに至っているのですね。

 村上春樹作品というのは、このように、常に背後に大衆を扇動する殺すしかない悪と、すでにその力に染まってしまった大衆と言う物が脅威として描かれています。

 主人公たちはその中で、極めて絶望的な戦いをすることになります。

 村上春樹作品の主人公達は、あまりに世間離れしすぎているとかカッコつけすぎている、という批評を耳にすることがありますが、それは彼らがそのような俗悪の流れと抵抗する人々であるためでしょう。

 

                                                                         つづく


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