先に、ガンダムの中で語られていることはニーチェではないか、ということを「逆襲のシャア」という映画作品の記憶を引き合いに書きました。
正直、その後のガンダムについては私は追いかけていないので、全体図としてはまったくわかりません。あくまであの時に引き合いに出したテキストからだけ読み取ったという内容です。
その時の記事の中で、大二次大戦期からもはや戦争は略奪を目的とした即物的な物では無くて文学的行為になっている、という説について書きました。
日本では皇道派による八紘一宇という宗教的宇宙観によって皇民化政策を意図した侵略がアジア中で行われました。
これは、スラヴ史観によるウクライナの獲得と言う現ロシア政権によるプロパガンダとなんら変わっていません。
最近批判が目に付く「早期投降論」を訴える人たちと言うのは、恐らくはお花畑だとかそういう短絡的なことではなくて、自らのバックについている権力が皇道思想の愛国団体であるために、民族主義による侵略を否定する訳にはいかないというところがあるのではないでしょうか。
それをすれば、自分のスポンサーである人たちが主張する、第二次大戦は侵略戦争では無くて民族を白人優位主義から護るための人民解放行為であったという主張を否定することになってしまう。
満州とドンスク、クリミアはそれくらいに共通の構造を持っているように思います。
そういう爺さんたちの子飼いで在り続けるために、早期投降論者は発言しているのでしょう。
別に本心から思って言ってるとは私は思えません。
あくまで既得権益を確保するためのポジション・トークであるように思われます。
これは「弱者は強者に逆らうべきではない」という中国の不可解な発言にも見られる構図であり、またゼレンスキー氏が日本国会での演説において事前に予測されていた広島、長崎について触れる発言をしなかったことにもうかがえるように思います。
政治の力学における論理で各人が動いている。
もし、世界唯一の被核兵器爆撃国であるという日本の一面について述べれば、それは世界的に世界で唯一の核攻撃国であるアメリカへの攻撃発言になってしまう。
それはより大きな国からの援助に影響しうる。
こういった視点での見方は、恐らくは入り組んだ今の世界を観る上で非常に有用であると思うし、またそのためには第一次大戦からの歴史を観ておくこともまた有用だと思われます。
という訳で、こちらでは延々十年近くも人類史と身体文化を書いてきている訳です。
近年、原始的な信仰における神と言う物の存在について思う処がありました。
これに関しては、ずっと読んできていた神話や民俗学、考古学からの視点よりも、ニール・ゲイマンの小説における表現がより分かりやすく伝わりました。
ここで言っているのは、キリスト教のような布教宗教ではなく、特定の民族や特定の地域に居る人々のためだけの、古典的な「信仰」の神話についてのことです。
こういった神々への信仰は、意味や教義という物を持ちません。
より物理的な、いわば現実に存在する強者への対応としての信仰があるのみです。
なので機嫌をそこねれば祟りをくらい、ご機嫌が良ければ恩恵が与えられます。
いわば、人間の身ならざる強大な力を持つ王者と解釈して良いかもしれません。
現在の多くの大衆が求める「自分に都合よく取り計らってくる権力者」としての政治家のイメージは、この古代の信仰から繋がる物なのではないかとさえ思われます。
まぁ、大衆と言うのはそういう、ドンドコドンドコ太鼓叩いて生贄捧げてた土人と変わらない。
論や理ということではないのです。
スピリチュアルやオカルトの人たち、あなたたちドンドコドンドコですよ。
そういった姿勢から「発展」した人たちが布教宗教に至りました。
これは民族や地域と言った信仰を支える土着の部分を離れて、その教義と言う論や理を信じる人は誰でも救済にあずかれるという考え方です。
つづく