先日、すごい仏像とすれ違いました。
バイクで走っている途中にすれ違ったのですが、一発でその姿が目に焼き付き、お写真をいただきたく思ったのですが、その時は用事で急いでいたので断念。
後日ようやく撮影が出来ました。
それがこちらのお写真です。
いかがでしょうか。
定期的に、フィールド・ワークで見つけた道祖神などの性神崇拝の像をアップしていますが、こちらはすごい。
おそらく、観音様でしょう。
俗に女性器のことを観音様というのは、観音像の被られている白衣の流れが女性器に似ているからだということです。
いわゆる「観音開き」というのもこの女性器が左右に開くことが語源になっているというお話を聴いたことがあります。
こちらのお仏像は、これから観音開きをするという前のお姿をされていらっしゃる。
その結果、大変に性崇拝の表現が強く伝わってくるという感じに観られます。
元々、観音様と言うのはインドの時代には雄々しい男神だったと鈴木大拙和尚の本に書いてありました。
それが中国に渡った段階で女神のようなお姿になりはじめたのは、おそらく道教的な天女と重ね合わせられ始めたためでしょう。
この、信仰の対象を女性とするというところにアジアの文化があると大拙和尚は言われます。
古代、過酷な自然環境において人類が生き抜いていくには人海戦術が重要な手段でした。
毛皮も爪牙も失った人類は、年間を通して発情期であるという特性を生かして数を増やし、コミュニケーション能力と言う物を用いて知識を蓄積してゆきました。
すなわち、文明の中核には性の恵みと言う物は必須だった。
男女が快楽を伴った本能の行為を行うと、無から新しい命が生まれてくる。
これは物凄い神秘であり、奇跡であったことでしょう。
老子が、全ての生命の秘密は玄牝門にあると説いたことが良く分かります。
中国における観音菩薩の女性化には、道家のこの思想があったことは想像に容易です。
宇宙の神秘を司る最大の物として、これを祀るということに人類の自然な文化を感じてしかたがありません。
なんと美しく、いとおしいお姿であることでしょう。