本日の稽古には、都内からの人が来てくれました。
今回で三回目で、私が思う蔡李三宝のうち二つ、八卦拳と五輪馬が終わりました。
ここのところ、どうもかんふーくらぶさんやワークショップなどでとにかくお土産を持って帰ってもらって、後は自分で頑張ってね式の練習が多かったのですが、一回ごと丁寧に階段を登ってゆくという伝統的な方法はとても大事な物に感じます。
私自身がそうでしたし、時には稽古の進捗よりも師父と過ごす時間が大切であったりした気もします。
そのようなゆっくりとした時間の流れを身体になじませて、自分の時間を作ってゆくことにライフスタイルとしての意味がある気がします。
あえて進歩を遅らせるというのは人類の大きな知恵だと、私の好きな作家が書いていました。
そんな訳で本日も大切な伝を丁寧にお伝えしては休み、少しやってはまた休みでした。
初学の内は身体が出来ていないので疲れます。
特に平馬は他の運動では取らない姿勢なので長くは出来ないですし、勁を使えば背中が攣りそうになります。
無理をしないことが大事です。進歩をしようとしすぎれば魔境に落ちます。
練拳はあくまで行、ライフスタイルであって、急いで結果だけを求めるのは趣旨に反します。
身体を作り変える物なので、急いでやっても体がついてこなければ結果にもなりません。出来る範囲で少しづつ、時間をかけてやっていくのが正しいやり方です。
練習の休みに武林の雑談などをしていたのですが、いや、すごい話を聞きました。
ある内家拳の先生が、ひょいひょいと相手の腕をさばくと、その腕が翌日もののけ姫のタタリガミにやられたように痣で腫れ上がるというのです。
強打をするわけではなく、なでるだけでそうなるというのです。
実はそれ、あの大山倍達先生も同じことをしたという話を聞いたことがあります。
一体どのような仕組みでそんなことが起きるのか想像もつきません。
しかし、その先生がやられているのは私が平素から「あーゆーとこはすごいんだろなー」と思っていた処。
ただ、実際に遣うという人は聞いたことの無い拳法です。
でも、本物がちゃんと居たのですよ。
やはり高級を名乗る拳法はすごいんですよ。
私などは本当に、最低限のことがなんぼかなぞれるにすぎません。
別次元の本物の達人と言うのがこの世の中にはいるのですねえ。
非常にうれしく思いましたし、うちに来てくれてるみなさんが三年ほどであらかた体得したら、ぜひうちを土台にそのような高級技法にまで進んでくれると良いなと思いました。
そのように話すと「なんでそんなに短期間で生徒を手放したがるんですか」と訊かれましたが、やはりいつまで経っても分からないまま時が流れて行っては苦しいでしょうから、うちでは短期要請。
元々太平天国の武術ですから、兵士を育てるために初めからすぐに出来るようになるカリキュラムが出来ているのです。
その部分が売りなのですから、そこを出し惜しんでは仕方がない。
そうして、ひとかどの技芸を身に着けて、それぞれの人生に取り組んで行っていただきたいものです。
自分の身体の使い方を心得るというのは、ライフスタイルのための基礎教養のような物だと思います。
そうやって自分の人生を自由に生きる人を世に増やすことが、私の太平天国革命ですよ。
いつも言っているように、あまり武術や結果に捉われて欲しくはないのです。
大切なのは、適度を知って、精神の自由を求めることにあります。
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8月13日 稽古の感想
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