さきの記事で、真正の中国武術は喧嘩や腕試しになど拘泥してはならないと書きました。
が、もしかしたらそれは私たちの蔡李仏拳に限られたことなのかもしれません。
うちは先日映画が公開もされた陳享大師の時代から、心のことを大切に扱ってきました。
なにせ弟子に「技の力はどのようなものを使えば良いですか?」と聞かれて「正義の力だ」と答えたくらいです。
ともすれば失伝の危機に瀕した少林武術を後代に残すために、厳に居住まいを正していたのかもしれません。
かたや、確かに世において「喧嘩拳法」と呼ばれるような物も存在します。
そのうちのいくつかは私も体験しました。
上海を中心にしたある有名な派は日本では喧嘩拳法として知られていましたが、実際はそんなモノでは決してありません。
そのように言われてしまったのは、文化大革命の時代に、真正の武術家ではない者たちが、正伝ではない技術を学んで振り回していたからだと聞きました。
実際のことを学ぶとその拳法は、奥深い勁力を主体にする、きわめて深淵なものです。みだりに人を打てばたやすく致命傷を与えてしまうだけの威力があり、決して喧嘩などで乱用できるようなものではありません。
実際、この拳法を学んでいたあるタクシーの運転手さんが言いがかりをつけてきたお客さんを突き飛ばしてしまい、大変なことになったという話を聞いたこともあります。
南派の拳法でも「喧嘩拳法」として知られる物を経験したことがあります。
古いムックで「一年やれば使いたくなる。二年やれば喧嘩したくなる。三年やれば殺したくなる」と、修行者の物騒な言葉で紹介されたように、その門派は「実用」を重視しています。
というのも、この門派は弱者のための護身術として編纂されたもので、大きな門派の技術と別の派の体得がしやすい技術を組み合わせたところから創始されたと言われています。
伝承者も正統の武術の掌門というよりは、旅回りの芸人と言った専門家でない人々が多く、彼らが身を守るために発展してきたと物の本にありました。
そのために、武術の中ではかなり特異な位置にあるのですが、専門家以外にシェアされる物というのは当然人口の増加が著しい。宮廷貴族の健康法として広まった太極拳などもそうですね。なので、この拳法は喧嘩で強くなることを目的とした少年たちに爆発的に流行しました。
私自身が手を触れた時も、そこの師父は半年でインストラクターになれる、と言っていましたので、その短期育成のコンセプトが徹底していることがわかります。
実際、喧嘩で強くなることに一生懸命になるというような時期はせいぜい十代の数年間でしょうから、そのような目的にはもっとも合致した拳法であったかもしれません。
まじめな姿勢で研究した修行者の方いわく「十年やってわかったけど、あれはあくまで護身術であって戦って強いとか弱いとか言うものではない」とのことだそうです。
私の周りの先生方でも、少年期にこの拳法から入って中国武術の奥深さをしり、改めてその深さを追求すべく他門にシフトした方が多いです。
そういう意味で、これはカンフー世界への良い入口になっていると言える気もします。
また、その拳法のルーツの一つでもある通称「魔拳」と私たちが呼んでいる門は、やはり喧嘩で強いという評判で知られています。
おそらくその理由は二つあって、一つにはその伝承が広く黒社会にあったことが関係していると思われます。
「喧嘩なら魔拳」と言われているようで、実際に武術を学んでいる人からもその派をしているとなると少し怖い印象がある、と言われたことがあります。
表演を見ても、大変大柄な人や全身入れ墨の人などもおり、確かにかなりいかつい。
もう一つの理由としては開祖伝説に他の門に対するカウンターとして生まれたという物があるため、やはり仕合強さが重視されていたという部分があるのではないかと思われます。
蟷螂拳もそうですが、他流試合を想定して編纂された拳法はやはりわかりやすく「喧嘩強い」という印象になるのではないでしょうか。
私の考えでは、想定している闘争の規模というのがそこに影響するように思います。
武術家同士の仕合を重視した成立の門もあれば、旅人の護身術として派性したものもあり、馬賊間での抗争のための物もあり、兵士の調練に使われていた物もあります。
それによって、一人の敵との攻防を重視しているのか、小さい武器を使って攻撃を回避する動きを訓練するのか、大きな槍などを活用するのか、また会戦主義なのかが変わると思われます。
それによって、勝利条件は相手をまいらせることなのか、自分が無傷であることなのか、襲撃を成功させることなのか、また集団を蹴散らすことなのかが変わります。
当然、町の喧嘩でいきなり電柱のような大槍を振り回すようなことは不合理です。
このような前提を置いておいて、あれは喧嘩で使えるからよいだとかなんだとかいうようなことに捉われるは、武術の本質を大いに見失うことになると思われます。