前回は、クジラの腹の中から二度目の疑似的な出胎を経て主人公たちが生まれ変わる様について書きました。
ここで彼らは、ようやく本式に鬼を退治する部隊の子供として再誕したということなのでしょう。
疑似的に不正が登場もします。
なお、このエピソードに似たお話に、ジョジョの奇妙な冒険第四部の列車内でのお話があります。
こちらも成長と、成長して母胎から生まれ治すことが出来なかった者がそのまま老いて死んでゆく様などが描かれていますが、これはまた別のお話。
今回は、生まれ変わりと新しい家族についてお話したいと思います。
鬼滅の刃では、悪役の鬼たちは疑似親子関係となっています。
親玉の鬼から遺伝子を与えられることで鬼の血からが成長するからです。
そのために、鬼たちの価値観は基本、親玉を中心とした物になります。
鬼たちは人間だった時に、いずれも機能不全家族出身だったことが描かれていて、歪んだ家族観が元々彼らの間にあったことが明示されています。
神話学においては、健康な形で親殺しを果たして成長をするというのが人類の新陳代謝と成長の力になると見なすのですが、成長という物をしない鬼たちの間ではそれはありません。
一方で、その鬼たちを退治する鬼殺隊と称する主人公達の組織なのですが、こちらもまた半ば鬼になりかかったような発達障害、サイコパス人間が勢ぞろいしているように描かれます。
怪物と対峙する物は己もまた怪物になるのですね。
しかし、両者の間には決定的な違いがあります。
それは、鬼たちと同じく鬼殺隊も疑似家族として描かれているのですが、こちらはだいぶん親が優しい、ということです。
とはいえ、その差異はごくわずか、やはり強迫的で強権的な雰囲気が鬼殺隊の中にも流れてはいます。
しかし、鬼たちのように出来損ないの子供だから要らない、と親が子供を殺すというようなことはありません。
親が望んだような強さが無い子供でも、生きる場所を与えるという姿勢があります。
まぁ、その寛容さが幹部隊員たち全員サイコパスみたいな自体の理由ではあるのでしょうが、のびのびと育った子供たちだとも言えるのでしょう。
この鬼殺隊の幹部も、炭治郎少年の仲間の善逸少年の過程も、伊之助少年の成育環境も、一律機能不全家族として設定されています。
その中で、核家族の外にある爺さんによって育たられた、というのが善逸少年と伊之助少年の共通点です。
普通、三人部隊のうちの二人が同じ環境だったと設定はしない。
それを敢えてしているのはやはり、作者の表現したいところがそこにも表れている、ということなのでしょう。