以前にこちらで取り扱った、鬼滅の刃を全巻読みました。
読み終わって驚いたのは、作者の社会意識の高さです。
おそらくはこれは偶然ではないと思われます。現代日本社会の政治的問題がこれでもかというように本編には詰め込まれていました。
そのことに気づいたのは、悪役の親玉である(というか実質彼一人が悪者です)キブツジムザンが突然「私は変化が嫌いだ」という保守派宣言をし始めたシーンに度肝を抜かれたからです。
家族を惨殺された性格の良い少年が修行をつんで鬼退治をするというお話を読んでいたら、突然その鬼が保守派宣言。
これは確実に意味があることに違いないと思って読むと、全編が保守、右翼を鬼として描いた作品に読み取れてきます。
まず、その保守派のキブツジムザンなのですが、元々の出自は公家のぼっちゃんであるとされています。
公卿ということは天皇家の親戚で、その血縁によって既得権益を受けて生きている存在です。
これはつまり、現保守政権が主張している天皇家を長としたイエ社会という物が必然的に連想されるのですが、まさにキブツジムザンを頂点とした鬼社会のいうのは、彼が父として君臨する権威的父権構造によってなりたっています。
被支配階級にある鬼の皆さんと言うのは、これみんな元々機能不全家族出身者で、そのことを鬼としての「悪事」の動機としている人達です。
どいつもこいつもネグレクトされた兄妹とか見捨てられた子供とかそんなんばかりなんですね。
そういう連中と権益で疑似家族となっているのがキブツジムザンです。
この構造は実は鬼退治をする味方側組織でも対比的に配置されています。
鬼退治の専門家である鬼殺隊というのも、その統領を父として置いた疑似家族組織で、鬼退治の隊員たちもみなどいつもこいつも鬼と同じく機能不全家族からのいわば養子縁組によってメンバーとなっているような人達です。
そういう点から見れば、これは二つのよく似た組織の対比構造と言えるのですが、二つ大きな違いがあります。
一つは鬼側が統領のキブツジムザン個人のために全てが場当たり的に行われるという物であるのに対して、鬼殺隊は明確な目的をもって組織されているというところです。
そしてそのために、鬼殺隊は福利厚生がしっかりとしています。
これはまかり間違ってもキブツジムザンの私的な権力体制である鬼の側にはありません。
もう一つの違いと言うのは、主人公である炭治郎くんの存在です。
ここからは次回でお話ししましょう。
つづく