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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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リボルバー・リリー所見 2

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 さて、ここから実際に観たリボルバー・リリーの内容について触れてゆきます。

 まず、物語の主人公は台湾の特務機関で育てられた元伝説の暗殺者という設定だということは分かっていたのですが、背景となる時代は対象です。

 満州を舞台にした話ではありません。天津は出てきませんでした。

 物語は上海に関わる機密を巡る物なのですが、作中で上海のシーンはありませんでした。

 ではどこが舞台かと言うと、秩父から都内です。

 そこまでの旅のお話です。

 私は上海モダン風だと思ったのは銀座の街並みだったようです。

 上海銀行のマクガフィンは、日本が開戦に向かうか否かに関わるものとされており、作中の登場人物は「開戦だ

」「させるか」というベクトルで対立しあうことになります。

 第一次大戦後、関東大震災から一年後、第二次大戦前という時代に合って、復興のために侵略に乗り出す軍部と、復興資金さえ満足にないのに侵略に行くなど物資不足で自ら負けに行くようなものだという阻止派のお話だと考えると、確かにこれは2023年の現在に公開されるべき作品だと言えましょう。

 主人公の二代目鉄砲お百合(勝手に命名)は、台湾の特務機関の出身だということにされていますがその期間は現在消滅しており、彼女はバックアップを頼れません。

 よって単身陸軍と戦うことになるのですが、更には台湾の期間の生き残りという暗殺者が、まったく大義も目的もなく主人公を抹殺しに付きまといます。

 よく言えばラドラムの暗殺者(ジェイソン・ボーン・シリーズ)なのですけど、つまりはこれは私が辟易している「伝説の元〇〇物」「ぼくが考えた最強の殺し屋ジャンル」の映画なのです。

 あー、もうあのしょぼしょぼだったるろうに剣心実写版がうっかりヒットしちゃってからこっちこんなんばっかり企画に通っちゃって、とうんざりしたのですが、そういう映画だとなると、もうこれはある程度アクションを観賞することになります。

 救いだったのは、監督が行定勲氏で、なんだかポップな若手インディーズ監督のような人ではなかったことです。

 一定のバジェットと俳優が調達できています。

 それらの元に行われるアクションがあまりにコンピュータ・ゲームの摸倣でダサダサだったのがるろうに剣心だった訳ですが、今回はマンガの実写化ではないのでちゃんと人間同士の戦いが観られました。

 ここが私にとってもっとも救いとなった処です。

 もし若手のポップな監督が作った場合、どうしても最近のアクションはビデオゲームインスパイアの説得力がない物になりがちです。

 しかし、初めからこの作品では泥臭い、ある程度生々しい人間を描こうという意図が感じられました。

 もちろん、ものすごく薄っぺらなオタク系サブカルチャー的キャラクターも存在してしまっているのですが、もう少ししっかりした近代のおじさんたちを描こうという意図も勝っているように思われました。

 そう、ちゃんとおじさんたちがかっこよいのです。モダン紳士の色気を描こうという意思が凄く伝わってきます。

 それも作用してか、アクションは格闘ゲームまがいのピョンピョンその場でスキップしながら格闘技の技を出し合うという典型的な今どきの「ぼくの考えた最強の殺し屋映画」にはなっていませんでした。

 まぁ、一方で台湾で訓練を積んだというからには何か中国武術の深奥を思わせる動きがあるかとおも思いましたがそれもないのですが(流行に合わせてウィンチュンを意識したっぽい動きはあるけどそれこそ素人の護身術でプロの暗殺者の技ではない)。

 というか、恐らく主演の女優さん、不器用です。決して手先がプロフェッショナルなガンスリンガーらしい動きをしていません。

 格闘戦でもかなりどんくさい。はっきり言って下手です。

 どんくさいのですが、この俳優さんの特徴は「でかい」ということです。

 映画の最初に彼女が登場した時に、当時のサイズ感らしい室内に座る彼女が、物凄く巨大に見えるというシーンがありました。

 その巨大さがおそらくは彼女の鈍重そうな動きの説得力だということなのだと思うのです。

 彼女を私的な目的でつけ狙うもう一人の特務機関出身の暗殺者は、びっくりするくらいのひょろがりです。

 一切訓練を積んだ形跡の見られない、まったく説得力の無いモデルさんのような体型をしています。

 しかし強さの説得力はないのですが、そういう体形が近代アジア人の体型なのかもしれないと思いましたし、変装という任務が重要であろうことを考えると逆に説得力がありました。

 そういう、世界一弱そうな暗殺者と取っ組み合いをすると、ヒロインの体格は互角以上の力を持っているようにも見えて納得が行きます。

 原作は小説だそうですが、そこでは凄まじい筋量の大女と書かれていたのかはわかりませんが、恐らくはそういう存在を描きたいのであろう、ということは分かります。

 彼女を支えるチームのメンバーも馬賊出身の女性だったりして、やはり原野で育った逞しい人なのであろうということが想像されます。

 その上でなのですが、この作品で気になったのが、鉄砲お百合が幾ら撃たれてもまったくダメージを負わないことです。

 明らかに背後から心臓を撃たれているのに、気を失うくらいでまったく問題がない。

 これ、作中に出ている当時のS&Wやベレッタの性能だとどうなのでしょう?

 昔の映画「ヤング・ガン」でも銃器の弾丸がまだバラ弾なためか、幾ら撃たれても即死には至らないという描写があったのですが、大正時代はまだ銃弾というのはマンストップ・パワーが低くて後から鉛の毒が回って死ぬというような感じなのでしょうか。

 確かに背後から心臓を撃たれた時、お百合の肩甲骨辺りに血の花が開きました。

 体幹前面は無傷です。

 弾丸は貫通しておらず、背中から摘出されていました。

 彼女に打たれた軍人たちも皆、倒れて呻くだけで死にはしません。

 撤収令を受けて歩いて帰ったりしています。

 この、ヤンキーの喧嘩くらいの威力というのは銃にだけに限らず爆弾でもそうなのです。

 顔近くで手投げ弾を受けて榴弾で顔が切り裂かれた将校はそのまま襲ってきます。

 さらには胴体に二発受けてもまったく問題なく戦い続けます。

 そしてもちろん、主人公である鉄砲お百合は全身に何発も銃弾を受けてもまったく問題がない……。

 ちょっと、どこまでがありえることでどこからが適当な演出なのかが上手く判断はできませんでした。

 やはり、戦争に対する姿勢こそが、私にとってのこの映画の価値と言うことになりました。

 愛国的戦争に向かうよりも、経済を回復させることが大切だよ、という物語であることには大きな意味があると思います。

 あと、近代モダンの紳士たちがやはりおしゃれです。

 帝国海軍軍人の祖父に育てられた私にとっては、非常に引き付けられるモチーフです。

 

 元祖鉄砲お百合とのつながりは分かりませんでした。

 でも、作中にまったく解かれない謎として超自然要素は入っているのです。

 それは原作小説から来ている物なのかどうか私には分かりません。

 ただ、初代鉄砲お百合の冒険でかかわった、日本神話の神々に通じる力であるかもしれません。

 ないかもしれません。

 いずれにせよ、行定監督は林海象監督の助監督をしていたから、鉄砲お百合に関して意識してないことはないとは思うんだよなあ。


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