ジョジョの奇妙な冒険第四部は、それまでとはだいぶ違った趣で描かれます。私のもっとも好きなパートです。
ここでは日本の仙台にあるとされる杜王町という架空の都市が舞台となり、スタンド能力者たちの日常が描かれます。
主人公は、ジョセフの隠し子である仗助少年という高校生です。
彼はかつてディオのスタンド共鳴現象が起きた時に高熱を発し、それを克服して以来のスタンド能力者です。
ディオの影響が強いのか、彼のシンボルもハート型です。この、主人公に表れるディオの影響は次の第五部でピークに達しますが後述します。
スタンドの名前はクレージー・ダイヤモンド。ジョースター家の伝統通り、また鉱物です。
スタンド能力者は共鳴しあうの法則で、彼とその友達はこの街に住む様々なスタンド能力者と出会ってゆきます。
しかし、第三部で現れたような刺客ではなく、ほとんどはその力をかくして普通に暮らしている人たちで、スタンドを便利に活かしてマンガ家をしていたりエステティシャンやシェフをしていたりします。
中には詐欺や恐喝を生業にしたり悪用をしているような第三部の悪役的不良スタンド遣いやも居ますが、彼らとも喧嘩レベルの争いをしたあと、通常の隣人関係が築かれることになります。
なぜそのような日常人としてのスタンド能力者がこの街にたくさんいるのかと言うと、仗助少年の高校の友達、億泰少年の兄である京兆少年が理由です。
彼の父親はかつてディオの手下であり、初登場時の花京院少年と同じくディオの体細胞を埋め込まれて悪事を働いていました。その細胞に全身を侵食されて、現在は人間離れした姿になってしまっています。その父親を救う能力を持ったスタンド遣いを作るために、あのスタンド能力を開眼させる隕石の矢を濫用していたのです。
このため、この第四部の物語は直接的には仗助少年とはまったく関係のないものになります。
彼は初の、補助型の主人公となります。仗助という名前は杖として助けるという意味だと荒木先生は書いていましたが、まさに様々な人を補助する存在です。
そのためか、彼のスタンド、クレージー・ダイヤモンドは「世界一やさしい能力」とさえ呼ばれています。しかし陰陽の調和のためか、本人の仗助には激高癖があり、突如人格が変わったように怒りに捉われる(プッツンする)という性癖があります。
仗助を主人公として考えた場合、物語は自分を捨てた父親であるジョセフとの和解をもって完結するという筋が考えられますが、前述のような理由でそれはあっさりと半ばでされてしまい、以後ジョセフおじいちゃんはあまり意味のない好々爺としてしか存在しなくなります。
また、三部の主人公だった承太郎もこの街に訪れ、京兆少年に由来する様々なスタンド能力の謎や問題を解決してゆくのですが、仗助はやはりそのアシスタント的存在にとどまります。
さらに、仗助少年の友達として康一君という少年が登場するのですが、途中からこの少年が石の矢で受傷をし、スタンド能力に目覚めて、成長してゆくという物語が広がります。当然ここでも仗助はそれを支える友人として存在します。
康一君のスタンドは、初めての段階を経て進化する物で、物語的には明らかに彼が主人公であるかのような立ち位置に見えます。
物語が日常を描いているように、仗助も特別な成長や因果を持たない日常系主人公として居ます。スタンドを使ってゲームをして遊んだり、楽してお金儲けができるようなアイディアを実行したりして暮らしています。作者はこのシリーズを「マガジンの不良マンガみたいのが書きたかった」と言っています。
物語の途中から、この日常生活系スタンド遣いの中に、本格的な悪人が登場してきます。吉良吉彰という快楽殺人鬼なのですが、彼もまた日常系です。シリアル・キラーという意味での日常殺人者という意味だけではなくて、彼自身の人生の目的と言うのが、規則正しく生活して、健康でストレスなく、植物のように生きること、というつつがないものなのです。
ただ、どうしても殺人衝動だけは止められないために、スタンド能力を活用しています。
これは、歴代悪役たちに見られない非常に衝撃的な設定でした。
ディオははその貧しく悲しい素性から社会的成功を求めてハングリーな犯罪を犯していましたし、二部の柱の男たちは圧倒的な生態系の上位に君臨する絶対捕食者として君臨しており、さらにその上位へと進化を目指す大自然の脅威でした。
また、よみがえったディオは世界中に超能力者の一大ネットワークを造り、悪の世界のカリスマとされています。ただ、のちに語られているのですが、このころの彼はもはや当初の目的を達成していたため、精神的な安寧を求めていたようです。
その、安寧を悪というのが、この吉良によって詳細に描かれます。
彼自身は地元のスーパーマーケットの社員で(仗助や億泰少年がこずかいかせぎに不正を働こうとしたスーパーです)、女性だけを殺人欲求の対象としています。
仗助、億泰、康一君の三少年は、かつて吉良に殺害された被害者の幽霊によってこの悪事を聞かされ、自分たちスタンド能力者にしかできない危険な人物の捜索に乗り出します。少年探偵団的な展開です。
また、かつてその幽霊の少女にかわいがってもらっていたマンガ家のスタンド能力者青年や、スタンド犯罪を取り締まることを使命とする承太郎ら大人もこの事件に取り組んできます。
すべては、過去のディオの余波(およびジョセフの不倫)に由来する物ではありますが、本質的にはここで起きているのは仗助とは関係のない、世界で常に起きている「日常」です。
そのため、物語は犯人である吉良に焦点が向かいます。
この吉良吉彰、という名前は、吉という字が二つある奇妙なものです。
「吉吉」こえは中国の字で、「賢人」「道理をわきまえた人」を意味しています。
中国思想でこれらの意味は、「タオにのっとった人」という意味です。皆さんは封神演義をご存知でしょうか? 中国四大怪奇小説の一つで、邪仙たちが大戦争を繰り広げるというお話です。
その中で、陰陽思想の死生観が描かれるのですが、生物には本来殺意というものが少なくとも存在しているので、それを解消するために殺すことは否定されるべきではないと書かれています。
殺劫を犯すといって、不老長生をする仙たちはその小さな殺意が何百年もにわたってたまってゆくので、殺すことによって解消する、という考え方です。吉良の殺意はそれによって何かを得ようとか奪おうというのではなくて、純粋な殺人衝動(ないし変態性欲)なので、これに非常に近い。
ここで思い出してほしいのがディオのことです。
実はこの後のジョジョ第五部、六部においては、今度はディオとはなんだったのかということが語られてゆきます。
前三部作までで語られていたジョースター側から、陰の存在であるディオにフォーカスが変わるきっかけがこの四部の吉良の存在です。
ディオは、西洋的な科学や心理学、および経済思想の持主でした。それが東洋の英知に敗れて二者が合一するというのが第一部でした。
吉良は東洋的な悪人という意味で、ディオの真裏の存在です。
ディオが「戦って支配する」ことを目的にしていたのに対して、吉良は戦うことも気づかれることも避ける存在です。
このことは六部の説明をするときに重要になるので覚えておいていただけたら幸いです。
このヒロイズムのまるでない地味な殺人者は、作者曰く「神話的な英雄」である承太郎率いる混成軍に勝てる気がしませんが、そこがスタンドの深いところです。本人が地味であるほど厄介な場合があるのです。
吉良もはじめは単に爆発現象を起こすだけの底の浅い超能力しかありませんでしたが、次々と進化して新しい能力に目覚めてゆきます。
その最終形が、時間を巻き戻す能力です。これはディオの後継的な力と言えるでしょう。
スケールの小さい悪者は、その追い詰められ方と精神のゆがみ方で最悪の強敵と肩を並べたのです。
いえ、もはや吉良は小さい悪者などでなく、タオの生き方を体得した悠々の邪仙であるということなのでしょう。
とはいえ、康一君たち少年探偵団のメンバーとジョースター家の仲間たちによって最後は滅ぼされてしまうことになります。
そしてここから、ディオの掘り下げが本格的に始まってゆくのです。