勝ち組、という言葉がありました。
本来の意味は、日本が対戦で敗戦したにもかかわらず、それは情報作戦による嘘で本当は戦争に勝っていると主張する陰謀論者を意味する言葉です。
しかし、バブルの頃にこの言葉は意味を変えました。
それまではマルキンと呼ばれていた、経済的に成功した人を意味するようになりました。
ちなみに、対比としてはマルビという言葉がありました。
このマルキン:マルビの対比が、勝ち組:負け組という表現に置き換えられるようになったのです。
では勝ち組とは実際には何を指していたかと言うと、経済的に成功したサラリーマンが多数でした。
高校を卒業したばかりのOLさんが、ボーナスで100万円ばかりをもらい、日々証券会社の前のモニターで株式取引に取り組んでいる時代でした。
そのようにして元本を手にしたことで、誰でもが個人で一攫千金を出来るという時代だったのです。
しかし、その状態ってつまり、ある意味で原点への回帰というか、根無し草の大衆が本来個人で事業を立てて自力で収入を為すという本来の否大衆階層、つまり一角の人という階層のデッドコピーであったように感じます。
何者にも慣れていない人間が、さも何者にもなれているかのようなふりをして模倣していた、それが勝ち組の実相だったのではないでしょうか。
実際、現実の波が訪れてバブルの夢から覚めた時に、彼らは元通りの、何も出来ない持たざる者たちに引き戻されました。
最近はあまり見ませんが、ターミナル駅には沢山のホームレスがいました。
勝ち組たちの成れの果てです。
彼らが勝ち組と呼ばれる前は、農家さんたちが既得権益者でした。
地方の豪農の中にはエスタブリッシュメントが居たりもします。
また、土地資本の強い日本では農地を持っているというのはそれだけでアドバンテージです。
バブル以前の社会では、農協さんは垢抜けない成金の代名詞として失笑を買っていました。
サラリーマンになったような次男坊三男坊たちには、決して手が届かない階層でした。
サラリーマン社会というのは、そういったある種のはみ出した人々への受け皿をうまく提供し、社会身分をロンダリングすることに成功したモデルケースだとも言えます。
女性の社会進出などというのはまさにそういうことでしょう。
電話の発達、会社組織の普及というのは女性の社会進出と直結しています。
しかし、そこに加熱的なバブルが介在してしまったがために、勝ち組を自称していたサラリーマン諸氏の心胆を寒からしめる結果となりました。
バブル崩壊後、彼らの中で元々よりの土地持ちの地方農家の長男たち以上の資産を持てた若者たちは、一体どれほどいたことでしょうか。
一気に転落したのは、当然若者たちだけではありませんでした。
つづく