数年ぶりに、映画を二本続けて観てしまいました。
間隔は10分というスケジュール。クレイジー……。
まず朝イチの回で観たのは「関心領域」これはもう、絶対に観ないと行けない作品だと思いましたが、現代日本人の関心領域に極めて入り込んでいないためか、回数が極めて少なくなっていたので急いで見に行きました。
この映画、原題もまったく同じで、真っ向から人間の関心の領域をテーマにしている。
冒頭、川遊びをしている白人一家が居て、家に変えるとそれなり広いお家に住んでいるのがわかります。
どうやら子沢山の一家らしくて、ティーンエイジャーから生まれたばかりの赤ん坊までの四、五人ばかりは兄弟であるらしい。
家の前の通りを挟んだ徒歩30秒の所には、工場のような施設の門があり、そこには兵士や車両があります。
一家の父親と思しき男性が目隠しをされて、子供に手を引かれて玄関を出て庭に出ると、そこには家族が待っている。
目隠しを外すと家族の前にはカヌーがあり、これが男性の誕生日のプレゼントだったことがわかります。
男性は眼の前の施設に努めていることがわかってきて、庭にはツギハギを当てたボロ衣を着た下男のような男がいることがわかってきます。
また、袋を持った配達員のような男がやってきます。この袋の中身をいまで開けると、これが衣類です。
近所の奥さんたちと思わしき人たちがそれらを物色しており、この家の奥さんは「好きなのを持っていって」と言います。
衣類の中にあった赤ん坊の服を、若い女性が手に取ります。
この家の奥さんは、二階のベッドルームで高級そうな毛皮のコートをまといます。
その下に来ているのは、50年代のピンナップ・ガールが着ていたようなポルカドットのクラシックで地味なハウスワイフかハウスメイドのような「家事向け」の服装。
明らかにコートとの釣り合いが取れていません。
奥さんは裏地と裾にほころびを見つけて、この家のメイドに直しておくようにと言いつけます。
メイドは玄関先に水を入れたコップを盆に乗せて出てゆくと、ナチの軍服を着た主人がそこに現れます。
眼の前にはナチスの男女が群れをなして彼を待っていました。
彼らはご主人の誕生日を祝います。
ここで分かるのですが、彼らは眼の前の施設の職員で、上司であるご主人のお祝いに来ていたのでした。
これではっきりとわかってきます。
もっと後半になると具体的に名前が出されるのですが、眼の前の工場はアウシュヴィッツで、彼はそこの司令官です。
工場から出ている煙は人間を焼き続けているために出ている物で、運ばれてきていた衣類は、そこで焼かれた人たちから押収した物です。
その後もこの一家の日常がずっと描かれます。
近所の奥さんはこの家で井戸端会議をしておりは、新しいダイヤモンドを手に入れたという話が出たりします。
そのダイヤモンドは、歯磨き粉のチューブの中から見つかったと言います。
つまり、これもまたコートと同じ経緯で来ている物です。
赤ん坊の服を持っていった若い奥さんも含めて、彼女たちはまったくそのことの意味に関心を持っていません。
また、下男やメイドも強制労働をさせられているユダヤ人です。
それで、庭に咲いているバラや奥さんがつけたフランス製の香水の香りがこの家の中で話題に登ったりするのですが、眼の前からは人を焼いた煙が24時間体制で出ているのですね。
それどころか、随時テニスをするような音や怒鳴り声、悲鳴、赤ん坊の鳴き声、などが聞こえてきています。
でも、ここで日常を送る人々はまったく関心を持たない。
何も考えていない。
夫の誕生日ということで奥さんのお母さんが泊まりにやってきて、家が立派だとか子どもの頃からの夢だったプール付きの庭を手に入れただとかで彼女の「社会的成功」を祝うのですが、夜になってベッドルームで電気を消した途端、カーテン越しに見えてくる眼の前の煙突からの炎に部屋が照らし出されて、それが何を意味しているのかを理解するとハンカチで鼻を抑えて……そのまま夜が明ける前に家を出ていってしまいます。
通路一本隔てたところで大量の人間が焼かれていて、悲鳴が上がっていてその炎と煙のにおいが届いているのですから、当たり前ですよね。
やがて戦況が変化してきて、ご主人は異動が決まり、この家から引っ越すことになります。
しかし、奥さんは泣いて抗議。挙げ句は私は自分の夢から離れたくないのでと言ってご主人を単身赴任させてしまいます。
こういうことなんですね。
自分の感情と損得と、極めて狭い範囲のことにしか関心がない。
そういう人間のおぞましさが描かれています。
なぜいま、A24によってこの作品が作られたのかの意図を想像することは難しくありません。
世界中でこういうことが起きています。
ここに出てくる人たちのような、現実の世界を見ずに世の中を腐らせてゆく人々の存在が、深刻な問題たり得ているからです。
間隔は10分というスケジュール。クレイジー……。
まず朝イチの回で観たのは「関心領域」これはもう、絶対に観ないと行けない作品だと思いましたが、現代日本人の関心領域に極めて入り込んでいないためか、回数が極めて少なくなっていたので急いで見に行きました。
この映画、原題もまったく同じで、真っ向から人間の関心の領域をテーマにしている。
冒頭、川遊びをしている白人一家が居て、家に変えるとそれなり広いお家に住んでいるのがわかります。
どうやら子沢山の一家らしくて、ティーンエイジャーから生まれたばかりの赤ん坊までの四、五人ばかりは兄弟であるらしい。
家の前の通りを挟んだ徒歩30秒の所には、工場のような施設の門があり、そこには兵士や車両があります。
一家の父親と思しき男性が目隠しをされて、子供に手を引かれて玄関を出て庭に出ると、そこには家族が待っている。
目隠しを外すと家族の前にはカヌーがあり、これが男性の誕生日のプレゼントだったことがわかります。
男性は眼の前の施設に努めていることがわかってきて、庭にはツギハギを当てたボロ衣を着た下男のような男がいることがわかってきます。
また、袋を持った配達員のような男がやってきます。この袋の中身をいまで開けると、これが衣類です。
近所の奥さんたちと思わしき人たちがそれらを物色しており、この家の奥さんは「好きなのを持っていって」と言います。
衣類の中にあった赤ん坊の服を、若い女性が手に取ります。
この家の奥さんは、二階のベッドルームで高級そうな毛皮のコートをまといます。
その下に来ているのは、50年代のピンナップ・ガールが着ていたようなポルカドットのクラシックで地味なハウスワイフかハウスメイドのような「家事向け」の服装。
明らかにコートとの釣り合いが取れていません。
奥さんは裏地と裾にほころびを見つけて、この家のメイドに直しておくようにと言いつけます。
メイドは玄関先に水を入れたコップを盆に乗せて出てゆくと、ナチの軍服を着た主人がそこに現れます。
眼の前にはナチスの男女が群れをなして彼を待っていました。
彼らはご主人の誕生日を祝います。
ここで分かるのですが、彼らは眼の前の施設の職員で、上司であるご主人のお祝いに来ていたのでした。
これではっきりとわかってきます。
もっと後半になると具体的に名前が出されるのですが、眼の前の工場はアウシュヴィッツで、彼はそこの司令官です。
工場から出ている煙は人間を焼き続けているために出ている物で、運ばれてきていた衣類は、そこで焼かれた人たちから押収した物です。
その後もこの一家の日常がずっと描かれます。
近所の奥さんはこの家で井戸端会議をしておりは、新しいダイヤモンドを手に入れたという話が出たりします。
そのダイヤモンドは、歯磨き粉のチューブの中から見つかったと言います。
つまり、これもまたコートと同じ経緯で来ている物です。
赤ん坊の服を持っていった若い奥さんも含めて、彼女たちはまったくそのことの意味に関心を持っていません。
また、下男やメイドも強制労働をさせられているユダヤ人です。
それで、庭に咲いているバラや奥さんがつけたフランス製の香水の香りがこの家の中で話題に登ったりするのですが、眼の前からは人を焼いた煙が24時間体制で出ているのですね。
それどころか、随時テニスをするような音や怒鳴り声、悲鳴、赤ん坊の鳴き声、などが聞こえてきています。
でも、ここで日常を送る人々はまったく関心を持たない。
何も考えていない。
夫の誕生日ということで奥さんのお母さんが泊まりにやってきて、家が立派だとか子どもの頃からの夢だったプール付きの庭を手に入れただとかで彼女の「社会的成功」を祝うのですが、夜になってベッドルームで電気を消した途端、カーテン越しに見えてくる眼の前の煙突からの炎に部屋が照らし出されて、それが何を意味しているのかを理解するとハンカチで鼻を抑えて……そのまま夜が明ける前に家を出ていってしまいます。
通路一本隔てたところで大量の人間が焼かれていて、悲鳴が上がっていてその炎と煙のにおいが届いているのですから、当たり前ですよね。
やがて戦況が変化してきて、ご主人は異動が決まり、この家から引っ越すことになります。
しかし、奥さんは泣いて抗議。挙げ句は私は自分の夢から離れたくないのでと言ってご主人を単身赴任させてしまいます。
こういうことなんですね。
自分の感情と損得と、極めて狭い範囲のことにしか関心がない。
そういう人間のおぞましさが描かれています。
なぜいま、A24によってこの作品が作られたのかの意図を想像することは難しくありません。
世界中でこういうことが起きています。
ここに出てくる人たちのような、現実の世界を見ずに世の中を腐らせてゆく人々の存在が、深刻な問題たり得ているからです。