前回は中国における思想と政治を一体化した文学ジャンル「小説」としての蒼天航路の入口についてお話しました。
蒼天が天命だという見立てをしたとき、そこから生まれた紅天である漢王朝が滅びると、そこから混沌の争奪戦が始まります。
これが、天下三分の計という混沌の三国時代ですね。
つまり、蒼天航路というタイトルは天命の行方、という意味だと読むことが可能です。
この物語の主人公は曹操で、三国志の物語全般を描いたものではなくて曹操個人の人生を追ったものとなっています。
定番では残忍無比の悪人だという印象の強い曹操について、無私の姿勢で冷徹な天地の差配をした人物だと解釈したのが蒼天航路です。
そして、その無私の物というのが、つまりは英雄だというのが私の友人の言葉です。
中国では、政治思想においては代々儒教が正道だとされて居ました。
儒教の思想では「法治国家などは退廃であり、徳治国家であることが王の道」だとされています。
ですので、徳の人であるとされている劉備が祀られており、それを智の力で押し上げる孔明殿が主人公です。
徳というのは実力という現世的な力で裁かれるべきではないので、劉備は純粋無垢で無力な存在のように扱われれます。
これは中国文学における需的思想の現れとしてよく描かれる形式です。
主人公側がこの布陣となると、敵対するように配置されるのは法治思想となってきます。
そしてもう一つ、儒教思想と対立する老荘思想です。
この老荘思想、老子や荘子に代表される中国古典思想で、天地にはタオという法則やエネルギーの流れのようなものがあり、それに則っていれば心配はない、という考え方です。
このタオ、天の自然の思想であり、実に非常で人間的感慨などは置き去りにしているものとなります。
それを代表する言葉が「天地無仁」。天や地という自然には、人間的な感情、慈悲のような物などない。という考えです。
儒教の考えでは徳のある人のことを仁者と言います。
考え方が真反対なんですね。
その、仁のないことを単に冷血な悪人だとみなすのではなくて、タオに則った英雄である、と詠んだのが蒼天航路の味噌の部分です。
つづく