最近は、老師の所で木人功を教わっています。
もちろん私がやっているのでウィンチュンの物ではなくて(いや私、珍しい目の大陸系の詠春拳、やるんですけどね)、福建の鶴法系統の物になります。
これが非常に良い。
何も習わずにただ木人の前に立つと単なるダミーを使った手業の練習になるのですが(それでも充分サンドバッグ的な練習としての意味はあります)、そこは功夫、やはり別の練功をするとまた別の深みの効果があります。
木人の場合は、まず一つ目は発勁の強化。
これもやはり、サンドバッグ的な意味ではありません。
定力の作りとしての意味です。
もう一つは、内門から外門、そこからまた内門というダイレクションの練習です。
手業だけの練習では当然手さばきが向上させられるのですが、実は足さばきの練習が物凄くできます。
そして、その足さばき、移動の練習は実は、先に書いた定力があっての移動となります。
ですので、手業→勁→定力→移動と言う全部の練習が出来てしまう。なんてパッケージされた素晴らしい練功。
やってて感じたのですけれど、これ、ずーーーーーーっと昔、もう十年位前にここでかいた「勁力による移動」なんですね。
蔡李佛で桃白白と呼んでいた奴です。
自分の勁力によって移動する。
木人でのダイレクションの練習も、橋法での勁を使って移動します。
これは実際には相手に対する抑圧効果にもなっていて、非常に実用的な功力だと言えましょう。
そうやって身体を「正しい」状態に維持しながら練習をしているとだんだん入静してきます。
これが大切なことです。
私にとっての武術の意義、静けさの中にある瞑想状態です。
ですのでやってるとついつい時間を忘れてしまう。