モデルの、栗原類君が著書を発表されたそうです。
発達障害を持っている彼のこれまでが書いてあるそうで、インタビューではこのようなことを言っていたようです。
http://news.ameba.jp/20161011-536/
彼が自分に違和感を感じ、それをこのブログでも取り上げたドリーを取っ掛かりに改めて問題に取り組むようにし、いまに至っていることに感心いたしました。
私の最初の弟子は発達障害でした。
また、従兄弟はじめ、たくさんの発達障害の人々に囲まれて暮らしてきました。
私のこれまでの人生を支えてくれてきたのは彼ら、彼女らです。
みんながいなければもっとつらかった。
一緒に生きてきた楽しい仲間、面白い女性たちが、ある時にお医者に行ったのをきっかけに発達障害と診断されてゆきました。
私が大好きだった心たちは障害だと言われはじめたのです。
おそらく、効率的な機能を果たすという意味では、たくさんの問題があるのでしょう。
「あー、もう●●はこれだからなあ」「○○ちゃんはおっとりしてるねえ」そんなことを言いながら、それが性格なのだと思って楽しく付き合ってきましたが、本人は想像以上に大変だったのでしょう。
やがて大人になって行き、社会との折り合いをつけるのが深刻になり、一人また一人と何かから挫折をしてゆきました。
ある人は社会にて適応が難しいのならと自ら望んで計画犯罪者の道を選び、またある子は救済を求めてカルト宗教の施設の中だけで生きることを選びました。
そういった経緯の中で、発達障害という物を持ちながらも犯罪組織やカルトの世界と言った同病相憐れむ中でのみ生きることをせずに幸せに生きることの協力ができないかと思ってきました。
サウス・マーシャル・アーツ・クラブは、現代日本の物質消費社会に疑問を抱く人たちに望ましいライフスタイルを提供するために創設しました。
現在、外国人のレッスンフィーを500円にしているのもそのような意図あってのことです。
その対象の中に、もちろん発達障害の人々も含んでいます。
これまでもそのような人たちの受け入れを行ってきました。
相手が年若い場合には、やはりレッスンフィーを500円くらいにすることで居場所を設定してきたつもりです。
これは決してきれいごとや上っ面のことを言いたくて書いている訳ではありません。
発達障害の人々と接してゆくことには難しい側面が現実としてあります。
彼らの中には、他人の知らない術を学んだり、あるいはそのような術を行使する我々の仲間入りをすることで、コンプレックスから急速に傲慢になる人がたくさんいました。
今度は自分が強い立場になったから他人を見下して喧嘩を売る、というようなことをさせるために我々はいるわけではありません。
あくまで、自分自身を理解し、世界とのかかわり方を見つめるためにタオを実践しているのです。
そのため、そのような態度に対しては常に厳しく接することになるのですが、ここで栗原君との差異が出ます。
問題を直視して改善のために取り組んでいない人たちは、この注意を受け取ることができません。
ただのナルシシズムだけで来ている場合、私からの注意や態度はただの自尊を失わせる攻撃にしか受け取れないようです。
結果、反発してより悪い行動をとるようになることが多々あります。
そのような場合、すぐに指導を中止して禁足処分としています。
そういった人々に拳足や兵器の術を与えるわけにはいきません。
きちんと自分の問題をまず受け止めていないと、どうしてもこのようなことになってしまうようです。
決して、世間に復讐をさせるために私たちは傍にいるのではない。
発達障碍者だけではなく、すべての人が卑屈さを捨てて、素直に生きることが出来るように練習をしています。
そのためには、まず問題を直視することが絶対に必要になります。
それによって傷つくというのはもう間違いです。
忘れてしまうならメモを取る。どうしても失敗をしてしまうなら単に謝る。ただそれだけのことです。
それでダメなら仕方ない。もう拘らない。
そういうことを学んでゆくのです。
卑屈さを募らせ、復讐心をこじらせて、いつか反撃をしてやるためにと備えさせるために我々は活動をしているのではありません。それはより、問題に囚われてねじれていってしまっているだけです。自分で自分を不幸にしてしまっているだけだ。私はそのようなことが大嫌いです。
ただ問題に素直に接してゆくまでの練習、そしてやるだけやったら気にしないという訓練。それを練習するために、中国武術をしているのです。
そのために、神経やストレスのコントロールをする気功や、チャレンジとしての武術の套路(型)などがあります。
栗原類君のいまは、決して彼がイケメンだからあるのではないと思います。
もし彼が、こじらせた悪い性格であったなら、いまのように社会生活を送ることは難しかったことでしょう。
もちろん美貌が大いに助力になったのは間違いがありませんが、まず幼少期にきちんと、学んでゆくことを身につけたのが何よりの大きな財産だったのだと思います。
そのために彼は、自分自身の生き方という物に自覚的になったのでしょう。
それは、自分として生き方を選べるということです。
それを我々は自由と言います。
それこそがいつも言っている、ライフスタイルという物のデザインです。私たちはそのためにカンフーを行っている。
これまでと同じく、これからも我々は志をもった発達障害や様々なトラブルを持った人々と向かい合っていきたいと改めて思いました。
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自由に生きる術
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