慧能さんの三つ目に言われた言葉は、無住です。
これは、囚われの無い心の状態のようです。
とても大変大切そうです。
カンフーに限らず、禅にかかわることのすべてはここにあるのではないかと思います。
と、言ってしまうと終わってしまうので、少しつけたりをしてみたいです。
達磨大師は、禅において一番大切なのは晴れ渡った空のような心だと言いました。
おそらくは、無住とはそのようなことでしょう。
タオにおいても、すべては変わり続ける物だと考えています。その円転する物にしがみつかづ、流れその物の上に乗っていることが、やはり晴れ渡り、悠々としたものであるように思います。
晴れ渡った空のような心、それこそまさに気功を行っていると得られる気持ちそのものです。
習慣化してゆくと、やがていつでもそのように気持ちよく過ごせるようになります。
これは思想や思考などで誘導しようという話ではありません。
そこがいまどきのスピリチュアルと気功の違いです。人の心を晴れさせるのは、行だと考えます。
そのために気功の行を日々行うのです。
もちろん武術はその一部であり、ときに他人と組んでともに瞑想状態を得ようとしますが、やはり本質は気功です。
それなくしてただ技撃の練習をしても、そこでは空が晴れ渡りはしないでしょう。
勝敗や巧拙は確かに指針ではあり得ますが、核心ではありません。
気功を行うと、脳や神経が気持ちの良さを感じる状態になります。
それを癖にしてゆくと、気が付けばいつでも気持ちよくすごせています。
ストレスフルな環境になったり焦るような事態になったときにも、比較的落ち着いている部分がありますので、気持ちの良い状態に戻ろうとしてそのためには実際にどうすればいいのだろうかと考えるようになります。
そこで初めて「あ、これは実は大したことではないな。囚われてもしかたない」などと言うようにおのずと見るようになりえます。