日本ではまだまだ、エスクリマの情報が少ない。
一部の取りつかれて現地に渡った人々のフィールド・ワークを頼りにするしかない。
しかも、多くの俯瞰的情報はそのような過程を経た外国人の方がもっており、現地の人同士の間では実は情報の有機的結合があまり強くないというのが私の印象だ。
いまだにフィリピン現地では、あまり書面などによる調査の発表が多くないような印象を受ける。
書店に行ってもアルニスコーナーやアルニス雑誌を目にすることは無かった。
なので、限られた情報を元に現地入りしたフィールド・ワーカーがソースとなり、それを手にした次のフィールド・ワーカーがまたバトンを引き継ぐという形でしか、この文化貿易は行われないのではないかと思う。
そのような踏破される一情報としてこれもまた送りたいと思う。
あくまで日本に始めてラプンティ・アルニス・デ・アバニコを持ち帰ったマスターとしての考察および推察なので、のちには必ず覆される過ちおよび不足があるであろうことを始めに注意しておく。
まず、ラプンティ・アルニス・デ・アバニコは、ドキュメント映画「エスクリマドールズ」によると、比較的最近命名された物のようであるようだ。
グランド・マスターの家に伝わっていた物であるようだけれど、当時はただ「エスクリマ」と呼んでいたらしい。
それがのちに、アバニコと呼ばれるようになってそうな。
アバニコという技術名は多くのエスクリマにあるので、あるいはここが元祖で広まったのかもしれない。
あるいは、広まり始めた流行り言葉をスタイルの名前に関した可能性もあるのだけれど。
いずれにせよ、流派名にしたくらいあって、ここではひたすらのスナップを利かせたストライクを多用する。
これを門内ではチョッピングと呼んでいて、他派で言うウィティックと同じものだと認識しているように伺えた。
このチョッピングは、通常横方向に内側から外へと素早く打っては鞭のように引き戻す物で、縦のベクトルのアッパー・スプリングや、中段に打ち出すサイド・スプリングががあり、一般に言う振り抜くスラッシュはローリングやロング・レンジと呼ばれている。
チョッピング系統の技法では威力を出すために腕を大きく振り回したり姿勢を変えることはあまり推奨されておらず、腕を動かさずに手首だけを動かして打てることや、肘までしか動かさずに上腕を動かさないことなどが要求される。
この細かい動作で威力を出すために、フィリピンでおなじみのタイヤを叩いて打ちなれるようにするトレーニングがある。
この段階では、パワー・ストライクというサヤウを行い、威力の要請する。
このサヤウは16の動作からなっていて、一つ目の動作はチョッピングで、続いてとどまることなく前後に進退しながら連打を畳みかけてゆくという物になっている。
これは、ライトニング・エスクリマの「相手が一打打ってきたらこちらは15打返す」という思想に共通の物が見られる。
ライトニング・エスクリマはエスクリマ・ラバニエゴに引き継がれる体系だそうだが、ラプンティ・アルニスの足運びにはエスクリマ・ラバニエゴと共通の物が見られるため、あるいは成立の過程で入ってきたのかもしれない。
またこのような技法は多く迎撃に用いられており、素早い攻撃で相手の攻撃を撃墜することが多用される。
これをカウンター・ストライクと言う。
このカウンター・ストライクがラプンティの基本戦法であり、そのために他派で一般的に練習の多くの時間を締めるタピタピやディスアーミングと言った受け止めありきの技法をあまり重視していない。
相手のバストンを受け止めてすぐさま打ち返すというよりも、打ち手をそのままカウンター・ストライクで迎撃することが推奨されている。
その後で可能なら相手に接触しての技法を行ってゆく。
接触技法で特徴的なのは、マグニートと言って相手のバストンを自分の体に押し付けるという行為だ。
これは打撃には空間が必要であると言うことを利用した物で、中空にある相手のバストンに積極的に自分の体を押し付けて振るうことが出来ないようにしてしまう戦術だ。
そうしておいて、自分は近距離で使えるアバニコ・ストライク、およびその延長にあるスピンと言う回転技法によって連打をし続ける。
短い距離で短時間での連打がそのために求められる。
このようなカウンター・ストライクのためのサヤウとしてドセ・ドセ・ケンシという物がある。
ドセ・ドセ・ケンシは12・12・15の意味だそうで、その名の通り12動作のサヤウを二つを連続して行った後に、15動作のサヤウをさらにつなげて行うという物だ。
合わせて39となる異常な長さの動作で構成されるサヤウは他ではなかなか見ないのではなかろうか。
相手の攻撃をまず打ち落としておいて、そこを取っ掛かりに連打を打ち込んでゆくという構成が反映している物だと思われる。
アバニコとスピンの連続により、アルニスダ―の周囲には常に高速でバストンが動き回っていることとなる。
これは中国武術での刀の使用法にある、刀を身にまとう技法に相似した物を感じる。
ラプンティ・アルニスの成立には中国武術が大きく関与しているそうなので、発想が持ち込まれたのかもしれない。
一般にマノ・マノと呼ばれる徒手の技術は、ラプンティではモンゴシと言われる。
これはまさに中国武術そのもので、渡来したものが簡化されて独自進化をしたもののようだ。
これらの事情から、私はこのスタイルが南進した中国武術であると想定している。
十世紀からマニラへの華僑の移民は始まっていたそうだけど、それがどの地域の人々なのかはまだ調査ができていない。
東南アジアの定番からすると、おそらくは広東系か福建系ではあろうとは思うのだけれど。
その上でラプンティのアバニコ技術を振り返るなら、それは棍法や傘などの暗器、あるいは本当にそのものの扇の技術であったかもしれない。
南派拳法の鉄笛の技術などは、クルクル回すアルニスの動きにそっくりであったりもする。
この辺り、各兵器を研鑽してゆくうえで研究したい課題であり、また相乗効果の期待できる部分でもある。
もちろん、現在のアルニスの技術は、革命以降のデスマッチでの技法を想定した物が主であり、古伝の剣術そのままのものではない。
よって、一撫でで致命傷を与えるような物ではないので、改変期に中国武術を吸収したと考えるのが分かりやすいのではないか。
だとすると、前の世代まではエスクリマ(剣術)と言っていたということとも時代的に整合が取れるように思う。
デスマッチを目的として暗器の活用法は発展し、結果中国武術が今の形になったものがラプンティ・アルニス・デ・アバニコの歴史なのではなかろうか。
一般に、正統な中国武術家はあまりに沢山の兵器を練習しすぎるように感じる部分がある。
フィリピン武術に高い評価をみなす中国武術家がままいるが、それは本来あってはならないことのように思う。
エスクリマにおいては難しいことは何一つしておらず、ただ単調な練習を延々と行うことで習熟し、地力を高めているだけなので、それに瞠目するということは己の練習不足以外の何物でもないであろうと思う。
とくに、ラプンティでは対人練習よりも一人稽古を重視している。
マスターたちからも、復習をしろということと、タイヤを打てということをしきりに言われた。
そのようにして一種類か二種類の兵器に絞って一意専心反復を繰り返せば、当然その技術はこなれてゆく。
当たり前だ。
その当たり前を、多くの正当な中国武術家は出来ていないように感じる。
実際にデスマッチで勝たなければ痛い目に合わされるという状況と、生涯使うことの無いであろう兵器を知識としてなぞるという環境の違いではモチベーションが大きく違うのは当然だろうとは思う。
そういう意味で、エスクリマのレベルの世界は、ある程度さらって乗り越えてからでないと、高級技法などはあっても意味が無いのではないだろうか。
さもなくば中国武術は高級概念を持て余すばかりの机上の空論になってしまうように思う。
このようなことは、私が先にエスクリマをしていた上で中国武術に行ったから思うのかもしれないけれども。
土台があってこそ、精密な建造物が建てられる。
高級武術を二十年やるよりも、五年を格闘技に使い、三年を高級武術にあてた方がより大成の近道なのではなかろうか。
学問に王道なしというのは正論であるとは思うけれども。
そんな訳で、我々もバランスよくアルニスとカンフーを共に学んでゆきたいとは思う。