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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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吾が見たるフィリピン武術博物記 1

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 フィリピンの武術界においては、セブ地区が中心であるとされていて、マニラ・エリアはセブの武術が伝来しただけの場所であるとみなされています。

 事実、フィリピン武術が現在の独特の形に進化したのは、バリンタワック・ストリート周辺が派閥同士の決闘が盛んであったという特異点だからです。

 お互いに敵対派閥に負けたくない一心で古い戦争用の技術を捨てて、決闘に特化した技術を磨いて行った結果が、いまのエスクリマとなります。

 マニラにはセブの技術が流れてゆきました。大学のクラブに取り入れられてスポーツ化されたアーニスが生まれたりですとか、現在は最大派閥であるモダン・アーニスという現代流派の本拠地であって、現地のコワモテの間では今一つ「今出来」という印象があるようでした。

 実際、マニラにはエスクリマのジムなどは少なく、モダン・アーニスの本拠地であると言うアーニス・ヴィレッジにしても、実際はマニラの都心部などではないとんでもない山岳部にあります。

 良くも悪くもマニラは最大の都会であり、治安も比較的よい場所で、あまり武術をするような土地柄ではないのです。

 セブやほかの島々は、西部劇のワイルド・ウエストのような場所で、さすらいのガンマンよろしく剣客がうろついており、あちこちで刃傷沙汰を起こしてはまたさすらってゆくといった荒々しい土地でした。

 しかし、いち早く都市化が進んで国の中心地となったマニラには、また別のエスクリマの歴史があったのです。

 フィールド・ワークの結果としてこれからそれらをご紹介したいと思います。

 まずご覧いただきたいのが、マニラの国立博物館の前にあるこちらの巨像です。

 これはフィリピンの英雄、ラプラプです。 スペインがフィリピンへの侵略を始めた時代に、あのマゼランと海戦で戦い討ち取ったと言われている剣士です。 

 博物館の中には、このような物もあります。

 

 近隣のムスリム諸国に支配されていたスールー王朝時代の武器のようです。

 この後、フィリピンはスペインに支配されてアジアで数少ないキリスト教国となりました。近隣諸国ではいまでもイスラム国が多く、インドネシアなどはその代表です。ここのある武器はインドネシア武術であるシラットの古い形に関わりのある物と見えます。

 中央にあるのは指にはめる暗器のような物です。カランビットの原型の一つではないでしょうか。

 このように、古典のフィリピン武術には土着の部族武術と、イスラム文化から渡ってきた武術、そしてスペインから渡ってきたフェンシング「エスグリマ」という土台がありました。

 

 

 

 

 

 


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