武術家、という言葉があります。
みなさんは一体どのような人が武術家だと思われますでしょうか?
英語で言う、マーシャル・アーティストを日本語訳すれば武術家にもなりますが、やはりmartial artistと武術家ではちょっと言葉の肌触りが違う気がします。
では、土日に道場に通っている勤め人はどうでしょうか。
これもやはり違う気がします。
それで熱心に試合に出ているなら格闘家という言葉はわりに合う気がしますし、武道家というのはなんとなく生き方として武道家で仕事はどこかに勤めている、ということで納得する感じもします。
しかし、武術家。
なんとなく武術家というと草庵に隠れ住んでいて鎖鎌でもぶら下げて薄笑いしているような情人離れしたような雰囲気すら感じられるような言葉です。
そのような、世間人とは違う何かを感じられるのが武術家という生き方の人々だと思うのは私だけでしょうか。
あるいは。
そのような偏見を取っ払って見てみるなら、二段、三段というような現代武道の段位というよりも、○○流免許皆伝、というような、継承者として認められた人というのが武術家っぽいと感じる、という辺りは如何でしょう?
しかし実際のところ、現代においてはそのような流儀武術の伝承者はものすごく減っています。
人工が少なく流儀自体が失伝しかけているにも関わらず、後継者選びも誰でもよしとされるわけではないので、これは深刻な問題となっています。
その一方で、昔から一人で何流派も師範であると肩書を列挙している人もいますし、またひどく若いのに年配の先達を追い抜いて継承者に選ばれている人もいます。
どうしてこのようなことが起きるのでしょうか?
前者に関していうなら、中には余命僅かな老先生のところに取り入って死に水を取りながら方やで流儀の資料を懐に収めてゆく、通称「流儀泥棒」というような人のうわさもささやかれています。
挙句の果てにはそれらのきちんと体得もしていないような流儀を、身につけていないだけに掛けてる物を足し合わせて補って自己流を創作するような人もおります。
その手の人達がやっている流儀を見ると、たいてい同じ物であったりします。
となると、その流派はもうずいぶん前から正伝の伝承その物が怪しかったのではないかと思われる部分もあります。 実際、明治、昭和のゴタゴタでずいぶんの流派が失伝し、あるいは再編成されて原型をとどめている物はとても少ないと聞きます。
後者の、若くして先人を追い抜いて後継者になったのケースは、これとはだいぶ違います。
例えば、先代が70代半ばで伝系を譲るとき、それが若いころから一緒に稽古して可愛がってきた弟弟子であったりすると、もう60半ばであったりします。
となると、もう十年したらまた次の後継者を選ばなければなりません。
そこで、若くて見込みのある者が居ると、一気に流儀を若返らせ、次世代への拡大を期待してそこに譲ると言うことがありえると思います。
そのような、若くして正統に選ばれた継承者が、私の知って居る人々にも何人もおります。
では、若くして選ばれる傾向とはどのような物でしょうか?
それはおそらく、人となりです。
その流派に真摯に取り組み、誠実に技術に向き合って自覚をもって門人で居ようとする積極的な誠実さが最大の基準ではないかと思っています。
良くも悪くも稽古をしているのが日常になってしまい、道場での態度も気軽な物になってしまっているような50、60のベテランが後継者から外され、若き後継者の後見を任されるのはそのような理由がありえると思います。
武術の継承者として任命される以前から、自分が思う武術家としての生き方をしていて、それを師に認められた者が印可を出される、と解釈してもよいのではないでしょうか。
そうすると、そのような生き方をしている人は頼りがいがあるので、勉強のために通っていた他の武術の会でも一目置かれ、そちらでも後継を任されるというようなことがあります。
かくして、若くして数流の師となるという人物が生まれてきます。
これは前述の「流儀泥棒」とはだいぶ違います。
私の友人は名門三流の師ですが「自分の方から継ごうと思ったことは一度もなかった」と言います。
古人の生き方というのは取り換えが効かないものであるため、武術家らしい誠のある生き方をする人間は貴重な存在なのです。
これまで他人事のように書いてまいりましたが、私自身もまた二流を継承、指導を公言している身です。
そのほかにも、もう二つの流派で指導者となるよう要請されていましたが、現在はどちらも辞退しております。もし並行していたら四流の若手師範として、流儀泥棒の嫌疑をかけられた目にさらされていたことでしょう。
なぜそのように、先生方から言っていただけたかというのが、先に書いた生き方の部分だとしか思えないのです。
私は決して大男でもないし、運動神経に恵まれた才能のある人でもない。
むしろ体力は少なく、コツコツと分析、反復して積み上げてゆくタイプです。
もっとも、それでもプロになってはいるのだから一定レベルのところまでは自分を引き上げてきたとは思うのですが、プロとして一流になるような才能が無いことは確かです。
私にあったのは、きちんと向き合って誠実に努力をしてゆけること、というそれだけのことです。
私は好きでダンスも学んでいたのですが、ダンスというのは嫉妬ややっかみ、ポジション意識の横行する女性の社会である傾向が強めです。
その中で、ヘタクソで才能の無い私が先生に目を掛けてもらえるのを不思議に思った人が居たようでしたが、なぜあんな者に目を掛けるのかと質問したところ「彼はその日に習ったことは出来るようにならないけど、全部記録して次の時には絶対に一つは出来るようにしてくる」と先生は答えていました。
その時に得意げに出来てすぐ忘れられるような才子ではなく、きちんと記録して形に積み上げることの出来る人というのは、ダンスではなく、武術の世界の後継者としては望まれる形なのではないでしょうか。
このように着実で地道に、私は日々の自分の造作を仕上げてまいりました。
その結果の一つが、フィリピンでの継承です。
私自身はただ、十五年ばかり淡々とただ好きでやってきた物を、現地でどうやっているのか体験してみたいというだけで貯金して旅に出ただけなのですが、向こうのグループで動きを見て「こいつはおかしい。出来すぎる、グランド・マスタルに引き合わせろ」ということになりました。
その結果、いくつもの質問をされてブラザーとなる面接を受けた次第はここに書いた通りです。
私自身は積極的に自分がカンフー・マスターであることを喧伝したり動作を見せたりはしていないのですが、教わった動きの再現から「お前ちょっとおかしい。何かやってるだろ」ということになり、素性がバレてマスタル・コースへの編入をされたわけです。
結果、持ち合わせの時間の中で、炎天下の詰め込みレッスンを受けることが出来、一緒に練習していたマスタル候補者からも一目置かれて、無事マスタルとなることになれました。
これはやはり、カンフーの練習で武術としての基礎をしっかり作っていたこと、そして武術家としての生き方がすでにあったことの結果ではないかと思っています。
もし、いま現在学んでいる武術で行き詰っている人や本格的に武術家としての生き方を検討している人が居たなら、参考までにと思うところありまして書きました。
才能のある人間や強い人間は、いくらでもいます。
それこそ毎年、何百という格闘技や武道のチャンピオンが各世代、各階級で生まれています。
しかし、そのうち、生涯の物として伝承者に認められる人間がどれだけいるでしょうか。
ただの才子ではいくらでも換わりがいるのです。
それよりも、生き方が信頼できる人間であるということをよく意識してください。
それがすべての人々にとって良い結果につながることだと思っております。
大切なのは、生き方です。