このお正月休み、みなさんは何をなされておられましたでしょうか。
私は楽器を触ったり、映画を観たりしておりました。
その中で、DVDで観た作品が「SPIRIT」です。
みなさんは覚えていらっしゃいますでしょうか。ジェット・リー主演の、実在の武術家、霍元甲を主人公にした作品です。
公開当初は、正直あまり好きな作品ではありませんでした。
なにせ話が悲しすぎるし、せっかく実在の武術家を主人公にしているのに、その武術が匿名の想像の武術に変更されているし、動きもまったく霍師のお家芸である秘宗拳のようには見えません。まぁそれは、リー・リンチェの映画の常ではあるのですが。
そんな訳で本格功夫映画を期待していた当時の私には肩透かしだと感じたのですが、いま見返すと、これは非常に功夫映画史上において重要な作品であるということがわかりました。
と、言うのも、現在の功夫映画の流れに、武徳系師父映画とも言えるジャンルの物がありまして、それこそが80年代のコミック・カンフー路線、90年代のワイヤー・アクション路線に続いて、現在の功夫映画界に新たな風を吹き入れたジャンルだからです。
その系統の代表作がもちろん、ドニー・イェン主演の「葉問」なのですが、これはアクションそのものではなくて、実在した人の人生を通して、中華思想とは何か、文化とは何なのかを訴える、非常に教育的な素晴らしい作品です。
その「葉問」のプロトタイプと言えるのが「SPIRIT」でした。キャラクター配置から展開に至るまで、縦糸が非常に似通っています。
また、功夫にうるさい人間が唸らされるディティールが埋め込まれているところも重要です。
かねてから、三節棍はマスターの証だと書いてきましたが、このSPIRITでも徳を積んで心が成長してから霍元甲はそれを用います。
また、大事なのは、これが時代の変遷に迫られた選択としての、小乗武術から大乗武術への変化の物語であることです。
映画の中では、霍元甲が精武体操会(のちの精武体育会)を築く様が書かれていました。
そしてこの精武体育会こそが、大乗の武術を中国に広めるべく造られた機関です。
霍師の門派である秘宗拳は、またの名を燕青拳と言います。水滸伝の人気キャラクター、燕青が開祖だと仮託されています。
秘宗拳の別名は、反乱分子である燕青の名を伏せて素性を隠したからだという説が知られています。
この流派の映画内での仮名が霍家拳です。家伝の拳法だとされています。
中国にはこういうファミリー・アートとして伝わってきた○○家拳という物が非常に多いですが、この○○家というのは、まさに水滸伝に出てくるような○家荘、というような山城を築いた、日本で言えば地方豪族のような存在です。
水滸伝というのは、そういう地方豪族たちが結託して反乱軍となってゆく模様を描いた物語です。
そのような地方豪族達の間にはえてして争いがおきたり、略奪の応酬が行われていたと言います。
ロメオとジュリエットに出てくるモンタギュー家とキャピュレット家のように、敵対関係の家があったわけです。こうなると単に家というより、組と言った方が分かりやすいかもしれません。
フィリピン武術の世界では、カニエテ家とバコン家の敵対関係が有名ですね。
お互いに町で出くわせば即決闘が始まるくらい仲が悪かったと言います。
カニエテ家とバコン家が黒檀の棒で殴り合いをしてデス・マッチの決闘をしていたように、映画の中でも霍家は他家と武術による決闘を行っています。
この決闘によって彼は、他家の武術に勝ってゆくのですが、その怨恨によって家族を虐殺されてしまいます。
中国の武術家同士のメンツをかけた戦いでは、計略で陥れたり毒物を用いたりすることは当たり前にあったと聞きます。
家族を失った事件で考えを改めた霍師は、上海にて精武体操会を開くことになるのですが、これこそが、清朝末における小乗武術から大乗武術への変遷を示した、大きな事件でした。
それまでは、○家拳の名の通り、自分の家のためだけの闘争術であったものを、大々的に普及することを目的にしたのです。
これはすごいことです。当然、他人に手の内を知られないほうが有利なのですから。
中国武術研究家のK先生は、このことが名称の体育会に現れていると言います。
体育というのは、当時日本から入ってきた最先端の概念だったそうです。
当時の中国の先端の知識人は、日本に留学して学問を積んでいました。
いち早く近代化と言う名の西洋化を果たした日本は、アジアの新世紀における身の振り方のモデルケースだったのです。
西洋のスポーツという概念を、漢字での体育に置き換えたのは嘉納治五郎の功績でしょう。
つまり、小乗武術であったファミリー・アートとしての古流柔術を現代柔道に作り替えたという試みを、中国でも行おうとしたことが精武体育会の名前には見られます。
しかし、当然急にそんなことを言われても誰でもが器用に変節出来るわけではなく、内部ではメンツの張り合いからの権力闘争などもあったと聞きます。
そう考えると、柔道との交流試合も当時の資料では友好的な物だった、とあるのが頷けますし、その後、霍師が病死したことに対して日本人が毒を盛ったと噂が出たのを、敵対関係にあった武術家が疑いを晴らすために広めた話かもしれないと思えてきます。
この時代に至るまで小乗の家伝武術であった中国武術が、大乗を目指したということにものすごい価値があると私は思います。
もちろん、大乗を目指せば偉いとか価値があるとは言い切れません。
しかし、イエという個的な価値の保護を離れて、クニのために広く門戸を広げる勇気と献身の精神には、非常に美しい物があると思います。