最近の恐竜は、私たちが子供のころに本で読んでいた物とは違うそうですね。
なにやら毛が生えていたりするそうです。
と、いうのはもうかなり古い話で、最近の子供は毛が無かったことも知らないくらいの常識だそうです。
薄くなる一方の私とは逆に、恐竜はふさふさに。うらやましいことです。
またどうも逆に、ブロント・サウルスなどは一時期、ホントはいなかったと言う説があったそうです。
ものすごくメジャーな恐竜なのですが、別の恐竜とサイズが違うのは成長過程の個体差だということで一つの種類としては成立していないとされたそうです。
大変です。ブロントサウルス絶滅の危機です。
と、思ったらのちにその説も覆されて、やっぱりブロントサウルスは居ると言うことにいまはまた落ち着いたそうです。良かった、ブロントサウルス滅びなかった。
私たち伝統武術の継承者とは、いうなれば恐竜を研究し続ける学者のような物です。
過去の真理にだけ忠実に学問を進めてゆきます。
そこには、自分に都合の良かれと言うようなエゴが混じるべきではありません。事実を捻じ曲げるようなことは学問の本道に反します。
ただひたすらに、あったことだけに誠実であろうとします。
そのためには正しく積まれた学力が必要です。基礎教養によるものです。
この基礎教養がどうして大切かというと、これが無いと引き算が出来ないのです。
自己流や才能任せにしてしまうと、足し算しかできない。
足し算しかできないと、ひたすらにマシマシだけが目的になってしまいます。
そのまま発展してゆくと、さらに効率の良い加算法である掛け算を覚えてゆきます。
基礎教養が足りないと、とにかく目についた物をどんどんそうやって増やすばかりになってしまいます。
そうすると、あまりに増えすぎた物によって自分が一体どの状態にあるのかを把握するのが難しくなってしまいます。
さらには、そうなると自己のバランスが危ういことになっても調整ができない。
我々の武術はタオイズムで陰陽思想ですから、当然陰の部分と陽の部分でバランスを取ることを重視します。
なんでもかんでも肥大させればよいとはせず、不必要な部分や過剰な部分を削り取ることを大切にし、むしろ最低限の単位で調整をとることを目標としていたりします。
あれもこれもと取り込むことはしない。
むしろ、そのあらゆることに共通するたった一つだけを見つけにゆきます。
それこそが真実の探求と言う物ではないでしょうか。
蔡李佛拳もラプンティ・アルニスも、私のしているものはその、たった一つを学ぶための物です。
無限の可能性の中での、すべてに通じるはずのたった一つ。
それがあることが、古伝といわれる物の価値なのではないでしょうか。
それは自分を肥大させるための物ではなく、真実を知るための学問です。
真実を無視して思うがままになんでもかんでも足していっては、そこに出来るのは得体のしれない怪獣です。
怪獣はロマンがありますが、実在はしていません。
実在しないものは、無です。
掛け算で一度0を掛けてしまった物がいきつくのはそこです。
学問は真実を知り、本物になる道です。0ではなく、絶対の1に至ります。