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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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水辺にまつわる二つの話

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 みなさんは、サソリとカエルという寓話をご存知でしょうか?
 どうやら元は戦争中のベトナムで生まれたお話だそうです。
 物語のあらすじはこういうものです。
 
 川を泳いで渡ろうとしていたカエルの元にサソリがやってきて言いました。
「川の向こうに行きたいんだ。君の背中に乗せてわたってくれないか」
 カエルはサソリの尻尾にある針で刺されるのを恐れて一度は断ります。
 しかし、川の途中で刺されて自分が死んでしまったら、サソリもそのまま溺れてしまいます。
 そのために信頼してカエルはサソリを背中に乗せて泳ぎだします。
 そして川の真ん中あたりまで来た時、サソリはカエルを刺してしまいます。
 毒が回ってカエルは動きが取れなくなってゆきます。
「なんでこんなことをしたの?」
 断末魔のカエルに、溺れてゆくサソリは言います。
「ごめん、刺すつもりはなかったんだけど、これがぼくの本質なんだ」
 
 この、本質というところに、タオの意義を見る気がします。
 荘子雑編の中に、漁夫編という故事があります。
 これはこういう話です。
 孔子様が旅先の川だか湖だかのほとりで楽器を吹いていると、側にいた弟子の顔回に地元の漁師が「あれは誰だ?」と訊きます。
 顔回はあれは高名な孔太夫だと答えます。
 漁師の老人は、惜しい、とつぶやいて去っていきます。
 演奏を終えた孔子が顔回からそのことを聞くと、彼はその老人こそ真理を得ている哲人に違いない、と教えをこうために漁師を探します。
 やがて老人の背中が見えてきて、孔子は呼びかけますが、老人は歩みを緩めずに歩き続けます。
 どうにか追いついて孔子は、あなたは真実を得た先生だとお見受けしますので自分に真理を教えてくださいと丁寧にお願いをします。
 すると老人はそれを拒絶します。
 老人は説明をします。
 お前はなまじ知恵がありそれで知られているために、自分が真理を伝えたとしてもそれを自分の解釈にとどまってしか理解することが出来ず、さらにはそうやって歪曲した物を人に広めて世の中を悪くするだろう。だからお前のような人間にあったなら、私は何も言わずさっさとただ逃げることにしているのだ。
 そうして老人は去ってゆく、というのがこの漁夫編という話です。
 
 以前、師父から聞いたのですが、相手を善くしてあげようとしても、それをものすごく拒絶する人というのが必ずいるのだそうです。
 そういう人と言うのは、間違ったこと、悪いことから力を得ているために、それを失うことをひどく恐れるのだ、というのです。
 いろいろな人に出会ってレクチャーをしてゆく中で、そういうことが分かってきました。
 自己像保存の法則と私は名付けています。
 例えば、人生で失敗ばかりしてきて自分は負け犬だと思っている人は、いつしか成功を恐れるようになります。
 勝つことに恐怖を覚えはじめるのです。
 練習をしていても、このような人はちょっと難しいことが成功しそうになるとワザと自分から動きをとめて安心できる失敗を作り出したりします。
 そういう人がたまたまうまく行ったときにそれでいいと言うと、必死になって「いまのはダメです! 出来てない! ぼくは出来てないんです!」などといたくうろたえて熱弁することさえあります。
 陰陽思想で言うと、もっとも大事なのは陰陽の二極に代表される様々な要素の調和なのですが、それぞれの人にその人なりのバランスのとり方があります。
 それが崩れるというのは、怖いことであっても当然なのでしょう。未知に踏み出すのですから。
 これが、エゴと理の対立なのです。
 たとえ正しくて自分のためになる理を与えられても、自分のエゴに安逸している人はそれを拒絶する、というのが人間の自然な姿でもあるのだと思います。
 それを変えるには、意思の力と行が適しています。
 意思の部分は個人の決意でどうにかなりますが、適切な行と言うのはすでにそれを知って居る人によるリードが必要です。
 それが、私たちにとっては武術なのです。
 そのために使命として私は伝人をしているのですが、やはり自己のエゴに囚われて先に行けない人はちょっと驚くほどたくさんいます。
 先にあげた二つのエピソードは、そのような人々に対応する際の知恵を伝えているようにも感じます。
 漁夫の話では損な役回りをさせられてしまっている孔子様も、女人と小人は養い難しと言っています。
 これやちょっと女性に失礼ですかね、タオの教えとはその見方は逆行します。だから孔子は教えてもらえなかったのかもしれない。
 性別は問わず、小人に真理を得ることは難しい。
 理よりもエゴに囚われて生きるのが当たり前になっていては、真実には至れないとされています。
 このような思想が底辺にあるために、中国武術の老師たちは一般に教えないと言われているのでしょう。
 それはケチなのではなく、教えるだけ無駄どころかかえって悪いことになるということが語り継がれているからなのだと思います。

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