二月の関内ワークショップも無事終わりました。
今回、みなさんそれぞれに進捗があり、課題が明確化されたことが非常に良かったです。
特に一名、ようやく内在していた勁を外に出すことに成功されたのは大きな成果でした。
もちろん発勁ができるようになるというのは一つの目安でしかないのですが、そこを越えると全体が自分でわかるようになるので修行の階梯としては非常に重要なものとなります。
本人は、手ごたえがないのでできてるのかできてないのかわからないと言っていましたが、手ごたえはないのでそれで良いのです。
手ごたえはないし特別なことをしてる気もしないのに相手が急に軽く感じて飛んで行ってしまうというのは、内側の勁がきちんと作用している証拠です。
人間はどうしても、手ごたえを欲しくなるものなのですが、手ごたえはどこかの力みによって反作用を感じているという物になるので、それがあっては勁は発することができません。
なので手ごたえと我々の発勁というのはそもそもが共存できないのです。
そのために、ここは結構に大きな壁となります。
錬功法で養った体内の勁を、ただ素直に出してあげるという以上のことは何もしてはいけないというのが、最初のうちはどうしても難しいのです。
手ごたえを感じたい、特別な技のようなことをしないとだめなのでないか、失敗をするべきではないという思いがすべて裏目に働きます。
それがいつもいう、エゴによる妨害です。
自我の働きが肉体の感覚の自然な作用を妨げている。
大切なのは、相手に意識を向けることではなくて、体内の正しい在り方を維持することです。
相手に合わせるとそちらに体の在り方が寄せられてしまう。
このために、まずひたすら体内の正しい在り方を感じるということが重要になります。エゴによる誘惑でそれを崩してはいけない。
相手を打ち飛ばしたい、やっていることの実感を得たいという状況を理解して安心感を得たいという支配欲求が、すべてを阻害します。
心身を寛がせて、相手も自分のエゴをも含んだ静かな調和の状態にあることが大切。
だからこそ禅なのであり、精神に安定を持たらせることができるのです。
私にとってはそれ以外の意味は武術にはほとんどない。
今回うまくいった方は、外界的な成功、不成功とは別のものとして、自分の内側が「整っている」ということを薄くではありますが実感し始めることに成功しました。
発勁を獲得したということは、体内にあるタオの働きを掴むことができたということです。静かな自然の働きの流れの存在です。
あとは、もうその内側のタオの働きに忠実であれば、自分でなんでもできます。
エゴによる動きや欲求ではなくて、内面の正しい働きにとって何が必要かというのは、その正しさの感覚が教えてくれます。
常に内側を感じながら生き続けるだけで、どんどん内力は強くなり、健康と心の静けさはましてゆきます。
外の世界や自分のエゴの騒がしさとは別のところに、もう一つの場所が見つけられたのです。