自分なりに現代思想についての文脈をたどってみましたが、その中でもちろん、専門の学者の人たちから 観て足りないところや誤った解釈はあるかと思います。
それはかまわないのですが、一つ、今回発表とこのタイミングが合ってしまった上で「お前は大事なことを言っていないではないか」と指摘さるべきところがあるので、そこに関してはどうしても補足と蛇足をさせていただきます。
その部分とは「お前の言っている学者たちはテロ用語論者ではないか?」という部分です。
フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」の中で、冷戦の終了以後、もはや人間が命を懸けるような闘争はなく、新しい普遍理念は存在しない。あとは局地戦が続くだけである。と著述しました。
この「局地戦」が意味することは明らかです。
また、ラカン派の哲学者、ジジェクは「動物化」した人々に対する概念として、自分の信じる理念のために命がけの闘争を繰り広げるテロリストを挙げました。
このことをもって、動物化の批判をすなわちテロ行為への賛辞と読解されることが危惧されたことでした。
今回、最も参考にしたある学者は、このことについて、現代消費社会を生きるには、お金があるなら消費者化を楽しんで動物化するか、それがいやならカルト宗教にでも入るか、あるいは哲学や芸術に生きるしかないのではないかと書いてあったように理解しております。
私たちが理念をもって何を伝えていたいと思っているのか、それはここまで読んでくださった皆さんには伝わったものだと思っております。