いつも読んでくれているみなさんありがとうございます。
初めて読んでくれたというみなさん、はじめまして。私は翆虎と言います。
中国の南派少林拳の師父(講師)と、エスクリマと言うフィリピンのフェンシングのマスターをしているアラフォー男子です。
このようなことをしていると、たんにスポーツのコーチのように思われてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。
よく勘違いされているのですが、中国の有名な少林寺というのは、別にカンフーの練習所ではありません。
あそこはインドからやってきたダルマ大師が中国にやってきて仏教を伝えた、歴史上重要なお寺なのです。そこから禅という物が生まれて、いまでも世界中のお寺の頂点に立つ場所の一つです。オモシロ観光スポットではないのですよ。
カンフーは禅の一部として行われていた修行です。
そのため、正統なカンフーの師父というのは、禅の修行を積んでいる人間である、というのが私の立場のご説明になります。
その禅の土台になっているものに、タオイズムという物があります。
タオ、道と言う物にのっとった生き方をするという哲学です。
宗教ではありません。神様のような存在を否定して、ただ自然な生き方をしようというライフスタイルです。
スピリチュアルでもありません。そういううわべの気の持ちようでごまかすのではなく、本質にせまるものです。
私たちのカンフーや気功というのは、そのような禅の一部を通してタオの生き方を学んで行こうというのがコンセプトです。
そのために私たちのカンフー・クラブは、ライフスタイルとしてのタオを提唱しています。
今回、古代の中国から伝わるタオの生き方をかみ砕いて、現代社会で幸せに生きるための方法を個人的な体験として書いて行ってみようと思いました。
現代日本の社会というのは、生きるのが大変に苦しい物です。
もちろん幸せな人も沢山いるのでしょうが、もしかしたら、生まれながらに幸せという人はとても少ないのではないでしょうか?
ということは、幸せな人はある程度の努力をした結果として幸せになったのではないかと思います。
この、一定の努力をして幸せになるというのは現代日本社会の基礎的な前提となる考え方だと言っていいと思います。
しかし、その努力の方向性について、ライフスタイルの伝道者としては一言モノ申したいのです。
現代日本での幸せになるための努力の方向というのは、まず一つに経済的な物があると思います。
子供の時は勉強でいい成績を取る。なぜならいい会社に入るため。
また、会社に入ったら今度は長く社に入れて長期的に安定した収入を得るための行動を指針としてゆくことになります。
これ、換言するなら、芝居をしろということではないでしょうか。
自分を偽って、他人の期待する自分を演じること、会社で言うなら本当に同僚や社会のために役に立つということをするというより、いかにうまく仕事をしているフリをすることが出来るかということが経済的な幸せに繋がるということなのではないかと思います。
言うならば、みんなが演じている「日本社会」という舞台に参加して演じ切るということが努力ということなのではないでしょうか。
これはね、生命として非常にいびつなことだと思います。
自分でない命を送ることが生きてゆく努力だというのはずいぶん抑圧的な話です。命は本来そのようには出来ていない。
タオは生命としての基本に立ち返る思想です。
先ほどスピリチュアルとは違うと言いましたが、いわゆるいまどきのスピリチュアルというのは、この芝居を上手くする方向への努力のしかたであるためです。
それをしないで幸せになる方向を模索するのが、私の思うタオイズムの考え方です。
この思想のことを解脱思想と分類することがあります。
それは死んで現世から離れて幸せになるという意味ではなく、社会の束縛から離れて自由に自分の命を送るということです。
そのための、具体的な論理をこれから話してゆきたいと思います。