幸せのためのタオイズムの説明、本編に入ります。
まず、タオの考え方の最初にあるのがこのような考え方です。
「初めに世界は混沌だった。それが陰と陽の気に分離した。陰は重くて下に沈み、陽は軽くて上に登った。それぞれが地と天になって世界が生まれた」
ここで言う気というのは、ドラゴンボールで出てくるような物ではありません。
西洋の科学でいうエナジー、つまり物理的な力です。
重い物が下に沈むというのは重力でしょう。
軽い物が上に上がるというのも同じように重力の作用なのですが、この軽い物を陽と言っているのがポイントです。
陽の極まりは光なのですが、光というのは重力の影響を最も受けづらい物です。
このような、古代の文明における科学的な視点と言うのがタオの本質です。
その取っ掛かりとして重要なのが、陰陽思想です。
ごちゃごちゃしたよくわからない物、混沌が分類されて世界が始まる、といっているように、不明な物を相対的に切り分けて真実に迫ろう、というのがタオの考え方です。
大切なのはこの、真実に迫るということです。
前の記事で、現代社会は自分ではない物の振りをする場だと書きました。
不幸や生きづらさの原因はそこにあると考えます。
これは、価値観を周りの社会でうまくやっていけるかどうかに持っていったものの、どうもうまく行っていないということでしょう。
通常、そのような場合他人は「我慢しろ」と結論をします。
それも一つの答えです。
我慢をするためにたくさんのスピリチュアルやあいだみつをグッズがあって、目先を変えて気をそらしてくれます。
ストレス・コントロールとして有用です。
ここでは それらとはまた違ったアプローチをしてみます。
まず、そもそものストレッサー(ストレスの元)を、我慢しなければいけないもの、と固定した見方をするのではなくて、陰陽思想の観点から見直してみます。
社会活動があって生活がなりたつのですが、本当にそれは絶対的なすべてではないでしょう。
必ず相対的な物であるはずです。
だとしたら、それと対応する物を見つけて同じ秤に乗せてみましょう。
趣味かもしれないし、家族かもしれません。
自分にとってのそれが見つかれば、絶対性は失われます。
このようにして、自分がそこに強固に帰属をさせられていて拘束されているという観方を変えてみます。
こうなると、今度は自分が帰属する場所、というのが空席になりますね。
あなたは社会で与えられた役割が最優先された存在ではなくなりました。一つ自由になりましたね。
しかし、自然は真空を嫌います。
空位には必ず何かがとってかわります。
ここで胡乱げなものが入ってはよくありません。せっかくの自由がまた別の不自由に変わるだけです。
そこで、ここに何か自分が帰属するものを置いてください。
なんでもいいのですが、本稿ではタオの説明をしているのでここではタオイズムをそこにもってきたいと思います。
本当に自分が人生の中核に据えられる、確かなものならなんでもいいのですが、これは伝統的な物であることに意味があります。
それによって、現代社会の価値観というものが相対化されます。
考えてみてください。どれだけ強固に自分をからめとっている社会の風潮でも、せいぜいがもって数十年です。それだけの流動的な価値観でしかないのです。
それに対応する物としては、長い年月を経て普遍的な価値観として洗練されてきたものがよい。
なので、宗教でもいいのですが、その場合は新興宗教は除きます。
芸術ならやはり自分の世代より前からあるものがいいでしょう。
茶道、華道なども。
あるいは、化石や海洋学などでもいいのではないでしょうか。
そのような物を価値観の中核に置くことで、現代社会に帰属することを第一義とした存在であることを辞めて、もっと普遍的で大きなものとつながることができます。
当たり前ですが、人間は人類の歴史や地球における自然科学の流れの一部です。
そのことを改めてより自分自身の物としてとらえなおします。
本来、学校教育とはそのために行われるものだったはずなのですが、いつのまにか立身出世の手段になってしまいました。
その倒錯を改めて整理しなおして、教育とは何かという意味を書き換えるのです。
こうすることで、あなたは真実を価値基準とすることができます。
周りの顔色を窺ったり他人がよしとすることに協調するふりをすることが正しいのだという、上辺だけの価値観から踏み出すことが可能です。
いまいる人間が自分の利益のためにでっち上げた価値観ではなくて「本当に正しいこと」とつながって生きることができるようになりえます。