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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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SMACの兵器

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 さて、ここまで倭寇について書いてきましたが、いろいろな武術や兵器が出てまいりました。

 鉄棍和尚の棍などは、少林の定番兵器なのでまぁ、どの門でも用いられる物です。特に少林拳のうち、棍のない物は存在しないと言ってもいいくらいです。もちろん我々も行います。

 それよりは少しだけ珍しいのは八大王の双刀でしょうか。

 とはいえこれも中国武術では珍しくないですし「騎士団長殺し」の絵を見ても中国に限らず多くの海賊たちが刀の両手遣いをしていたであろうことが分かります。

 もちろん、海戦技術から発生したうちの蔡李佛拳でも行います。

 開祖の陳亨師は始め、広東の海岸際で海賊との交戦をする自衛団で指導をしていたと言いますので、海賊と渡り合える同じ技術が伝わっています。

 なぜか私は表演などでこの双刀をやることを依頼されることが多いのですが、うちの双刀、両方とも普通は単体で使う長い刀です。

 普通中国で双刀と言うときは、片方が長い刀で左手は短い刀であったり、あるいは両方とも短い刀であったりします。

 それを両方長い刀。

 正直、腕が疲れます。

 このW長い刀を、我々は胡蝶双刀と言います。

 そう、八大王の双刀と二大王の胡蝶陣との関連を思わせるものです。

 もしかしたら、大倭寇の前後で倭寇たちにこのような物が流行ったのかもしれません。それがその後も海賊たちに残っていて、いまに伝わっている、というのは考えられることです。

 この後、ちょっと話は面白くなります。

 二大王が持っていた白扇ですが、これも中国武術ではままみる兵器です。

 扇自体が軍師の身の周り道具なので、当然有事にはこれで戦うことも想定するわけです。

 特に南派武術では、暑い地方に伝わった物のためにこれをよく用います。

 この扇のことを、スペイン語でアバニコと言います。

 ラプンティ・アルニス・デ・アバニコのアバニコ。

 扇子自体は古代アフリカにもあったそうなのでヨーロッパにもあったのでしょうが、まさに倭寇時代にポルトガルの海賊貿易によって、日本や中国の扇は西洋で爆発的にヒットしたといいます。

 つまり、アルニスの誕生期に隆盛していたわけです。

 で、この扇子、鉄扇も蔡李佛で用います。

 さらに言うなら、二大王を討ち取った鉄棍和尚の傘ですが、これも我々は兵器として用います。

 これは比較的珍しい技術だと思います。

 ちょっと功夫映画に詳しい人なら、洪拳を使うヒーロー、黄飛鴻が得意兵器として使っていたのを覚えているかもしれません。

 洪拳と言えば、海賊武術の正統派です。

 そして、我々蔡李佛の母体であり、故にか兵器としての傘もまた私は継承しています。

 どうしたことでしょう。これにフィリピン武術を加えたことで、大倭寇に出てくるほとんどの兵器を私たちは練習していることとなります。

 さらに言うなら、蔡李佛には鉄笛という兵器があります。これは鉄でできた横笛の暗器なのですが、その長さは60センチほどあります。

 ほとんどアルニスのバストンと変わらない。

 そして、驚くことに用法がアルニスにそっくりです。

 絡み付けて相手の武器を奪うディスアーミングまでかぶっています。

 同じことは南派を代表する兵器でもある三節棍にも言えます。

 あれ、通常用法はそれぞれの末端を持って、さらには真ん中の節で体を守るというものなのです。

 左右の節は双刀と同じように使うのですが、これは実にフィリピン武術的です。

 この辺り、いまや偶然とは思えません。おそらく呂宋からわたってフィリピン武術の派生過程で取り込まれていったのでしょう。

 ここまでの倭寇の歴史を考えればそう思うほうが必然的に感じます。

 呂宋武術というのはつまり、もっとも南進した中華武術の嫡子であるというのが昔からの私の見立てです。

 現在、伝統南派中国拳法と伝統フィリピン武術の両方のマスターは日本には私しかいないようなので、この部分を検証しあう相手はいないのが非常に残念なのですが、今後の有志の人々の研究によって、これらのことは一層に追及されてゆくことでしょう。

 ご関心のある方、ぜひ私のもとにご連絡ください。


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