この十数年、変態だと自称する人をよく目にします。
流行り言葉になっているらしいのですが、この始まりはSだMだという言葉が違う使われ方をされだしたころからでしょうか。
サディスト、マゾヒストという言葉を離れて単に能動的か受動的かというくらいの意味に使われていて、非常に困惑します。
欧米の心理学ではサディストという言葉は嗜虐性質として反社会傾向や犯罪傾向の強い問題人格として知られているのが一般的であるようです。
一般でも「彼はサディストだから」という言い方は「サイコパスの変態野郎」というようなかなり危険な状態を指すことが多いように思います。
ここでその変態です。
日本でSやM、変態という言葉がカジュアルに使われるようになって、お笑い芸人やタレントが「ドMなんです~」などと言うことがちょっとおしゃれなことくらいにキャッチになったことには、大きな問題があるように思っています。
と、いうのも、他人の性的傾向に深くつっこない日本では、そのような性的な含みのある言葉を持ち出すとそれ以上相手が深入りしてこないので、非常に有効なバリアとして働くからです。
タオの陰陽で考えると、強力なバリアを持つと言うことは他者の入ってこない安全地帯を持つと言うことは、そこに対する支払いが当然発生することとなります。
その一つとして、隔離された安全地帯は自浄作用を持ちにくいということが挙げられます。
外からの影響を受けにくいと言うことは、その内側が淀んでゆくとか、かなり意識的にしない限りは整理がされがたいということが考えられます。
タオは文字通り道なので、行き方と来し方のない袋小路を嫌います。
強固なバリアを持ち、かつ内側が淀みやすいと、人はそこでごまかすことを覚えるのではないでしょうか。
「私変態だから」
この言葉には、自分は当然の権利として確保された他者との差異の主張がにおわされています。
これが性的な個性の確保ではなくて、やたらに使われることで「他人と同じことが出来なくても私は変態なので許されるべきだ」という意味にすり替えられることはないでしょうか?
夫婦喧嘩は犬も食わない、と昔の言葉にありますが、交際相手のサディスティックな行動は、本当にDVやモラハラではないでしょうか?
「変態だから?」というごまかしはどこまで通じるのでしょう?
痴漢やその他性的犯罪は?
果てには性的欲求による暴行や殺人は?
変態は本当に当然確保されるべき性的な個性でしょうか?
いろいろなことがごまかされているような気がしませんか?
果ては、大した変態でもない人間がマジック・ワードとしてそれを振り回していませんか?
自分自身を顧みず、他人に迷惑をかけてしまう事態を改善しないことへのごまかしとしてそれが用いられていることは非常に多いように感じます。
他人をごまかすのはよくても、自分をごまかすのは不利益です。
ことを起こすには、きっかけという後押しが必要な場合があります。
問題があるのを自覚はしていても、変態だからというマジック・ワードで問題改善の機会を喪失していては、かえって不自由なことにならないでしょうか。
それは自分で自分を不幸にする大問題であるように思います。