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客家と中国武術とエスクリマのお話 3・世界への南派拳法の伝播

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 前回までで客家の拳法と洪門武術の関わりを書いてきましたが、ここからそれらの革命結社系武術の近代から現代について述べてゆきたいと思います。

 古くは秦の始皇帝の時代直後から流浪してきた客家の人々は、先に書いたように共同生活をして大人たちで子供たちを教育すると言うシステムに最大の特徴がありました。

 現代でも中国の識字率は高いとは言えないようなのですが、過去においてはなおさらです。

 その中で、客家の人たちはその教育システムの中で例外的に高い教育レベルを持っていました。

 現地の言葉と客家話とを話せるバイリンガルであることは必要とされたのでしょうし、それに加えて民族としての歴史を学んでいました。客家拳法もこのような環境で訓練されていたものです。

 このような民族は中国においてほぼいないでしょう。

 貧富の差を持たず、平等に教育と訓練が受けられる。

 さらに言うと、女性も纏足という風習をせずに男性と同様に働き、行動していたといいます。

 これは、移動の民族であるために男性が先行して女性たちが共同住宅に残ると言うことがあったためだと言います。

 このような客家の人たちを評した言葉として「兵隊か盗賊になれば大成する」という物があります。

 中国の有名な言葉「良い鉄は釘にはならない、よい人間は兵隊にはならない」の逆です。

 彼らは兵士や盗賊のような物になることを人生の成功とみなしていて、そのような物になる訓練をして暮らしていたのです。

 それは、単に山賊のようなことをして生きていた、ということではありません。いつどこで現れるかわからない外敵に備え、かついつの日にか体制を取り戻そうという志を決して失わなかったということなのでしょう。

 それが最も大きな形で現れたのが、太平天国の乱です。

 これは私たち蔡李佛拳が形成されるきっかけにもなった重要な物ですし、回族武術や他の少林派なども同流して一大軍勢を率いて体制を揺るがした、近代世界史においても非常に大きな物でもあります。

 この決起を起こしたのが、洪秀全という革命家が、客家です。

 彼の作った国、太平天国は一時期は正式に独立した国として西洋の国に認められ、独自に貿易をしていたと言うほどの国力がありました。

 この国のその巨大な組織力の基盤となったのが各地に潜伏していた秘密結社であり、すなわち客家のネットワークでした。

 この太平天国では、客家の伝統を受け継いでいて、男女の社会参加が平等に行われ、女性が科挙を受けて役人になることすら可能でした。

 この一大革命は結局清朝側の軍閥によって崩壊するのですが、その時に散り散りになった人々の中に、東南アジアに移住した人々もいます。

 移住先にはトンドや台湾も含まれていました。戦に負けたらそれらに落ち延びるのが定番ルートです。我々の開祖である陳亨大師もその一人だという伝承もあります。   

 また、客家の人々に関してはまた元通りの潜伏生活に戻ってゆきました。

 中国らしいのは、太平天国を打倒した側の兵士たちも解散をさせられて食い詰めた結果、今度はまた洪門結社に身を寄せてゆくということです。

 その数たるや百万人単位だったというのだから驚きです。

 もし洪門がこれらの人々の受け皿にならなければ、おそらく彼らの多くが行きずりの雑な盗賊になっていたことが想像されます。

 そういった人々を引き受けて食わせて力にしてゆくのが洪門の存在です。

 四川省で、そのような人々を手勢として調練をして逆に盗賊対策の自衛団としていた客家武術家に、牛角髭の鄧という人が居ました。

 武術家で自衛団を率いていて牛のような髭が生えていたというのだからいかにもな豪傑です。

 見かけだけの豪傑ではなく、役人の横暴からも人々を守っていたというのだからいわゆる武侠の類ですね。

 これが、鄧小平のお父さんです。

 鄧小平はお父さんの下で働き、やはり義侠としての活動の教育を受けていて、弱者の救済に熱心だったと言います。 

 そんな彼の青春期に、辛亥革命が起きます。

 これは、太平天国を引き継いで反清の運動を起こした革命です。

 これによって長い歴史を持つ中華帝国は清朝を持って終焉となり、最初の近代国家である中華民国が始まった、という物なのですが、この革命の立役者の一人が孫文です。

 革命家、孫文もまた客家でした。

 つまり、ここでようやく客家の悲願はかない、とうとう古代から続く革命への欲求を果たし、騎馬民族を追放することに成功するのです。

 しかし、この中華民国初代大統領となったのは、清朝期に西太后の側近であった将軍、袁世凱です。

 国体の転覆には成功したのですが、結局は首がすげ変ってただの権力争いに終始する形となりました。

 ここには大いなる陰謀と不正があったらしく、この旧体制の生き残りである軍閥派と、革命勢力である国民党、共産党の間で就任後も暗殺事件などが起きています。

 この後も近代国家の体裁を作るべく選挙が行われてゆくのですが、陰謀や暗殺合戦が続いてゆきます。

 さらにはあろうことか袁世凱は初代大統領の名を返上して中華民国初代皇帝を名乗ろうとし始めます。

 最終的にもう一度革命が行われて、袁世凱の死をもって改めて本格的な近代国家が再スタートします。

 この間にも国際情勢が色々あり、それらが落ち着いて初めて中国革命軍の二大勢力であった共産党と国民党の間で決着がつけられて、現代の共産党政権の中華人民共和国が始まります。

 敗北した国民党は例によって台湾に落ち延びて中華民国を継続しているのはご存知の通りです。

 この台湾、それまでは洪門のアジトだったのですなわち客家、つまりは共産党側勢力の土地なのではないかと思われるのですが、面白いことにここの客家は国民党と融和して一大洪門帝国である台湾を形成しています。

 長い流浪と反逆の歴史の間に、政権の奪還ではなくて自由そのものを目的とする思想の派も現れたのかもしれません。

 この台湾やすぐ東のルソンにあるトンドが古くからの外国にある中華街ですが、これらの街に住む人々はカントニーズと言われています。

 広東語を話す人々という意味です。

 これらカントニーズの中華街は世界中に存在しています。

 近代の歴史の中で、客家のルートが彼らのネットワークにあった広東語圏の人々を世界に「客」していった結果だと言われています。

 アメリカ開拓の歴史にある、列車の線路を引く労働者、苦力(クーリー)と呼ばれる人々もその一つです。

 それらの世界中の客家とその結社のカントニーズが暮らすチャイナ・タウンでは必ず洪拳が練習されているというのはこのような事情によります。

 私が学んだラプンティ・アルニスのルーツの一人でもあるトンド・チャイナ・タウンのラオキム大師もそのような洪門武術師父の一人です。晩年は香港に行かれたと聞きます。

 また、フィリピンとは距離の近いボルネオは清の時代には客家人によって蘭芳国が作られており、この国は世界最初の共和国と言われています。

 のちにここはインドネシアを植民地としていたオランダによって侵略されます。

 現在インドネシアで盛んだと言う中国拳法系シラット、クンタオ(拳道)シラットのルーツはこれにかかわりが強いことが推察されます。

 また、この時の敗北で逃散した客家人はスマトラからクアラルンプールで地下化したとも言われますので、そちらからの普及の可能性もあります。

 なおこの組織から生まれた独立国がシンガポールです。

 倭寇の勢力圏から少し外れた南シナ海周りの武術に見られる中国拳法のルーツは、やはり洪門拳法、客家拳法にあったというお話でした。


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