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ここでも何度か書きましたが、私の最初の弟子はこのようなタイプでした。
それほど筋トレをするわけでもないのにどんどん筋肉がついてゆきます。
ほかの生徒さんにプロテインや食事の摂り方を質問されていましたが、納豆とごはんだけで特別動物性たんぱく質もプロテインも摂ろうとしていません。
運動不足解消にジムに行くと、彼にわからないと思って外国人のボディビルダーが寸評をしているのを耳にしたことがあるといいます。
「彼は背は小さいのにすごいバルクだなあ」「いやぁ。あのフィギュアじゃまだまだ。左右のバランスが悪くて大きな大会じゃ入賞できないよ」
どうやら彼らと同じ、コンテスト・ビルダーだと思われていたようです。
普通に暮らして少し鍛えているだけなのに、細マッチョならぬカットバリバリのデカマッチョになってゆくという、すごい人間でした。
しかしこれ、後に判明したのですが成長ホルモン異常の病気でした。
内臓や脳に異常が発症するようになり、非常に苦しむこととなって現在でも苦労しています。
今回の主題としたいのは、病気ではなくて彼の浮き沈みの激しさにかかわる部分です。
生まれ持った異常な筋肉体によって他人より圧倒的有利だったころ、彼は自分の好きな練習しかしませんでした。
私がどれだけ口うるさくあれをやっておけとかしっかりメモを取ってこれを覚えて出来るようにしておきなさいと言っても、まったく形だけでそういう努力をしません。
好き勝手に筋肉任せで楽が出来ることしかしていませんでした。
具合が悪くなり、時々倒れて動けなくなることがあるようになったころも、よく稽古をつけるように連絡がありました。
私がやらせようとすることは同じです。
メモを取り、ノートを作って動きを覚えさせて、分析させて理論を自分の物にしてゆくこと。
しかし相変わらず、病気への不安と健康な頃への執着で稽古をしたがりはするのですが、本当には努力はしません。
そういうのは、稽古ごっこにすぎません。
病気だろうと加齢だろうとほかのいかなる日常生活上の理由であろうと、そのような現実から目をそらすためだけのままごとに付き合う気はありません。
それは本人のためにならない。
一度、ノートに取らせたことをやってみせろと言ったのにまったくできなくてまるでやっていないのが分かった時にはそのまま帰らせました。
また、ノートにしっかり分析してまとめてこいと言ったことを再三やってこなかったときからは、もう何も教えないことにしました。
以後、さらに病気が悪化して「どうか稽古をつけてくれ、自分にはこれしかないんだ」と言ってきてもです。
どうせそんなことは一過性のことです。いずれ本当には努力が出来ないのだから、すっぱりとぶった切ってやったほうが当人のためです。
そのためか、現在では本当にはやりもしないことにしがみつくということもやめて、きちんと自分がしたいことを考えてやるようになったようです。
世の中の多くの人は、本当にやるよりもそこそこやってるふりをすることの方に熱心なようです。
先生と名乗るような立場の人間でさえ例外ではありません(ちなみに、私のブログにはスピリチュアルの先生を自称する人々から頻繁に読んでもいないのにの宣伝行為が来ます。人が先生だと思うスピリチュアルな生き方というものはそういう物であることが多いのかもしれない)。
それで楽しいのならそれでいいのですが、自分の不足のせいで苦しんでしまって余計に執着が強くなってしまうのでは堂々巡りです。
そのような無限地獄に入らないためにも、自分で自分をしっかりと持ち、自己の在り方に責任を持てる人間であるほうが必ず幸せなはずです。
中途半端を粉飾すためのエゴが肥大して身動きが取れなくなるのではなく、そのエゴを断ち切ってありのままの身の丈で十分に足るを知ることこそが、私が求めている武術の効用であり、正当な武術家のあるべき当然の姿だと思っています。
育つことを辞めた卵はもう孵らない。
殻の中で腐ってゆくだけです。
中国のことわざに曰く「腐った卵にはハエが集まる」