我々SMACでは、ライフ・スタイルとしてのマーシャル・アーツを常に宣言して、行う人の生き方そのものをよりよくするために練習をするというコンセプトを打ち出しています。
武術と生き方の何が関係するんだという意見も当然おありでしょうが、これは非常に関係があるのです。
確かに、生き方をよくするだけなら哲学でもエチケット講座でもよいと思います。
あるいは健康教室や芸術のクラスでも。
しかし、本当の伝統武術と言うのはそれらすべてを内包しているのです。
よく勘違いされるのですが、古伝の武術は格闘技ではありません。
また、護身術のような物でもありません。
古武術には馬術や弓術がありますが、現代にこれらを格闘をしたり護身をしたりしている人はまず居ないでしょう。
ではお前の言う古伝の武術とは何かと言うと、一言で現すなら「真実を見つけて真実と共に生きるための術」です。
なので、我々は嘘や粉飾を避けます。
そして簡素でありながらも圧倒的に本当であることを尊び、それに則って生きてゆくことをよしとします。
であるからライフ・スタイルとしてのマーシャル・アーツなのです。
単純に言うと正直で素直に生きるための習慣です。
私は隠者を標榜しているとはいえ、それでもやはりこうして伝人をしていると様々な武術をしている人とかかわることがあります。
やはり、できてない人、及んでない人を見ると、どこかしら歪んでいたり卑屈であったりします。
自分を大きく見せようとしたり、人に絡んでいたりします。
また、言葉の端々に成れていない惨めさが伺えます。
逃げやごまかしがいつも周りに漂っている。
自分の真実の姿が他人にばれないように必死になっているのがありありとうかがえて、とても気の毒な有様に見えます。
これはね、ただ誠実に真実と向き合うだけで陥らなくて済む状態です。
自分に足りないものは真実と向き合えばわかります。
どのように補えばいいのかもそこにあります。
それを繰り返していれば取り繕いながら生きてゆく必要はなくなります。
これは良い生き方だと言えるのではないでしょうか?
世の中には新しい武術や護身術がどんどん生み出されて言っていますが、この、古くから伝わってきている真実という説得力は、年月を経て寝かされた武術にこそあるものではないかと思います。
自分一人の人生よりはるかに長く、広く伝えられてきた歴史と洗練の重みがあるからこそ、その前のちっぽけな自分を相対化して浮ついたエゴを軽々と取り払うことができるのではないかと思います。