唐の時代のもう一人の高僧と言えば、玄奘三蔵法師です。
あの西遊記の主人公ですね。
それまでに伝わっていた道教と仏教では、もう巨大な世界的帝国である中華のすべての民の心を救うことが出来ないと考えた玄宗皇帝が、さらなる功徳のある経典を求めてインドに遣わされたお坊様です。
この国事に携わるため、玄宗皇帝は三蔵法師と義兄弟の契りを結びました。
そのため、皇帝家の生を賜って唐玄奘三蔵と改名されたそうです。
この三蔵法師の冒険物語が現在私たちが知っている中国四大小説の形に成ったのは後世のことです。
そのために、物語の中で描かれる風俗は明や清の時代を反映していますが、それも踏まえて内容を改めて見返すと非常に面白いところが多々あります。
まず、三人と一頭の従者の筆頭の言わずと知れた孫悟空なのですが、これ、得意兵器が棍となっています。
棍と言うのは少林寺の看板兵器なのです。
さらには、この孫行者が使うのは猴拳であると言われ、いわゆる劈卦拳や通背拳などは通称を行者門と言われるくらいです。
これは同じころに成立した小説「水滸伝」の人気キャラクター、呂智真が酔拳の遣い手だったというのと同じくらいのメジャーなフィクションです。
この行者門の通背と言えば、ここにも書いてきましたが心意把の重大な極意です。
猿拳と言うのは日本人が感じるような面白い物では無くて、結構深刻な武術なのです。
西遊記では彼等一行が西へ西へと旅しながら、途中で異形の者らと交戦してゆくことになります。
代表的なところでは、金角銀角という兄弟の妖怪や、かつての孫悟空の義兄弟であった牛魔王がいますが、これらの意味がふるっています。
前の二人の正体は実は太上老君の下僕の童子です。太上老君と言うのは、老子が道教において神格化されたものだと言われています。
また、牛魔王と言うのもこれは孫悟空と同じく、道教の神様で平天大聖との号があります。
つまり、道教の神であった孫悟空が仏教に帰依したのと同じく、彼もまた仏教の隆盛に敗北する神様なのです。
牛魔王には紅孩児という息子がいますが、これに至ってはとっちめられたあとに観音菩薩に弟子入りをさせられています。
つまり、西遊記の物語そのものが土着の信仰である道教の世界観で生きている地方人を妖怪になぞらえて、新しい国教として持ち込まれた世界的布教宗教である仏教に教化してゆく過程をなぞったものであるのです。
これは、直接は武術とはかかわりがないようですが、実は当時、少林寺においてお寺を排斥して道観を立てたり、またそれを逆に戻したりといった宗教間の対立が繰り返されていたのです。
この構造が西遊記にも反映されています。
また、 この関係は同じころに掛かれた小説「封神演義」において、前の時代の頃の話としてまた別の興味深い様子が見られるのですが、それはまた稿を改めましょう。
武術と関係があるのはむしろ後の時代、「西遊記」や「封神演義」が成立した清の時代です。
そのころは、今でもおなじみ内家拳と外家拳の対立が始まった時代です。
出家して家を出ているので外家拳、そうでないので内家拳だというのが言葉の由来だと言われていますが、一般にはこの内家拳というのは、在家信者に伝わっているファミリー・アートの少林拳のことではなくて、道教の武術を指します。
つまり、唐の時代に圧倒された巻き返しを清に至ってから行ったという風にも観れます。
また、清朝が少林寺を焼き討ちにしたことで少林武術が反乱勢力になったのに対して、道教武術が清朝のお墨付きとなって紫禁城の中で満州貴族たちに太極拳が流行し、護衛官に八卦掌が伝わったこととも重なります。
そのような因果の起点と言う意味でも、これは面白いお話だと思うのです。