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唐の時代と武術 一 李賀と安史の乱

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 さて、前の記事で呉鉤の説明で、李賀という人の詩を紹介しました。

 

 男児何不帯呉鉤

 収取関山五十州

 

 男児いずくんぞ呉鉤を帯びずして、関山五十州を取り戻さん。という意気込みを詠っているようです。

 この詩は安禄山の乱の後の物で、彼によって唐の治世が乱されて、群雄割拠の世の中になっている時代への想いが込められているとのことだそうです。

 唐の時代というのは非常に面白い時代です。中国が世界最大のコスモポリスとなっていて、アフリカにまで至る各国の人々が行き来していた。

 彼らも科挙を受ければ実力できちんと役人になることが出来る先進的なシステムが機能していました。乱を起こした安禄山も、中東の人だったと言います。

 そんな一大帝国が滅びつつある状態で、李賀と言う人は「乱れた各地の国々をもう一度大唐帝国に集約せん!」と意気込んでいたわけです。

 この人は当時に知識人の例にもれず科挙を受けて役人として出世し、高級官僚となることを志していた人なのですが、この、詩人や文学者という文人が国を運営する人々となれるという科挙のシステムもまた、中国という文明の面白いところです。

 そのような文学的教養と感性を至上とする仕組みが中国武術を作り上げる土壌となっていたことは間違いがありません。世界でも最高級の芸術として独自の進化をしたのはこの土台のためでしょう。

 さて、李賀の野心と時世を照らし合わせてみた時に、この「男児なんぞ呉鉤を帯びずして~」という気概はぐっとリアリティを持ってきます。

 軍閥間で活躍して武功をあげるというのが、具体的な官僚の出世手段であったためです。

 彼の詩には、「どうやって出世したらいいのか分からなくて途方に暮れていたら、長老が軍学の秘伝書をくれた」という物もあります。

 

橋頭長老相哀念 因遺戎鞱一巻書 (橋のたもとで長老が哀れに思って、私に兵法の書をくれた)

 

 これは史記にある、張良が橋のたもとで老人から太公望の兵法書を授けられて活躍し、出世したという故事になぞらえられているそうです。

 このことからも、彼が武術や軍というものを生き方の中心としていた武術家であるということが分かります。

 しかし残念ながら彼は願いかなわず、二十七で夭逝してしまったそうです。

 学生時代にならう歴史では、唐の時代と言うと仏教や遣唐使くらいにしか教わりませんが、実際にはこのような大変に活気に満ちた魅力的な時代です。

 その中で、実は中国武術にも大きな変化が起きるのです。


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