さて、地上では紂王のような優秀なインモータル的人間がちょづき初めていたころの天のお話をしましょう。
中国の思想では、天地に満ちている気が集まると命になり、それが散じることを死と言うとあります。
これは、五行のすべての物に当てはまります。西遊記では石に気が集まって命を持って動き出して孫悟空となりました。
そのようにして、命を持ち出した物を妖精と言います。
それがさらに生きて気をより強くし、変化して人間の姿を取ることが出来るようになった物を妖孼、さらにずっと人間の姿のままでいることになった物を妖怪と言います。
ちなみに、これと同じステップを踏んだ人間のことを仙人と言います。
仙道によって気を吸収してそれを強くした人ですね。
つまり、どちらも同じ気という命の在り方で、妖怪と言うのは人間以外の物から仙になった物のことを言うのです。
まさに孫悟空は石という出自から変化の術を得てやがて天帝に使える万人になった「斉天大聖」という仙です。
そのような仙を封神演義の翻訳者、安能勉先生は「妖怪仙人」と呼んでいます。
逆に言うと人間仙人というのは長生きをして術を得た人間が化けた妖怪ともいえるのですが、この両者、殷の時代の天界では派閥関係にありました。
妖怪人間の方は闡教、妖怪仙人の方は截教と言う派に属していて、それぞれに数が増えすぎていました。
数が増えるとどう困るのかということの一つに、殺俲という物があります。
これは、陰陽思想的な考えで、心には必ず殺意や破壊の衝動のようなものがあるというところからスタートする概念です。
それは深層心理レベルであったりなどの全体から見ればわずかなパーセンテージの物なのですが、天地自然の一部となって永遠に生きることになった仙たちからすると、悠久の時間にとても強い欲求となって鬱屈してくるのです。
また、天地自然の気と一体化した彼等からすると、ひとたびその欲求を実行に移せば大変な威力を伴います。
すなわち、落雷や火山の爆発、地震や大津波のような自然現象が起きるわけですね。
繰り返しますが、陰陽思想において悪という物はありません。大切なのは調和です。
そこで、たまった殺俲を発散して、陰を陽に転じさせる円転をさせることになります。
となると、そのための儀式、祭りを定期的に行うことになります。
それはつまりまぁ、仙同士の殺し合い祭なのですが、あまりにたくさんの仙が同時にこれを行えば天変地異で帰って世界が大変なことになってしまいます。
そんな折、地上では調和が乱れて王朝を滅ぼして新しい王朝に交代をさせる必要が出てきました。
そこで、天の中枢ではいかにも中国的な頭の良い策略が用いられます。
殷王朝を滅ぼすための戦争に、両軍にそれぞれ天の仙たちを送り込んで、存分に殺し合いをさせればちょうど良い殺俲を晴らすための祭(儀式)になるではないか、と言うのです。
さらに言うなら、増えすぎた仙の内で降格させたい奴をリストラするために、その殺し合いで死んだ者を新たに作った「神」という格に任命してしまえばよろしかろう、と言うのです。
さらに言うなら、地上には他にも紂王のように、人間としては優秀すぎる物が湧き出し始めている。彼らもやがて修行を積んで仙になって挙がってくるだろう。その前にここで殺し合いに巻き込んで死なせて、これも同じく神に任命して仙界の人員整理としよう、ということです。
この深慮遠謀のために、地上における二つの代行者が選抜されました。
その一人で、反乱軍を作って殷王朝を滅ぼせと言う役割を担わされたのが、まさにいずれ仙となるべく崑崙山で修行を積んでいた道士の太公望です。
つづく