世の中にはいろんな考えのある。
ある武術では、自分が幸せになる方法と宣伝してる。
ルールを破って、世の中で成功してハッピーになろうって誘ってる。まるでマルチ商法やスピリチュアルみたい。
ルールも世の中も、人間が勝手に作った物。社会もその中での成功も、人間が勝手に思い込んでるだけ。
その中で生きることをお勧めするのは囲い込むみたい。それは私たちの武術の考え方とは真反対。
でも、考え方はそれぞれ。みんな自分がホントにしたいことすればいい。自分の命が本当に望んでることを感じるのは大切。
私たちの武術は、ルールをとても大切にする。
いろんなルールがある。自然のルールはタオ、人間の礼儀のルールは孔子様が大切にしてる。その意味は前に書いたね。礼儀を学ぶことは、自分よりもっと前の時代の世界と、未来の世界とつながること。
もし、世界で一番金持ちでもう働く必要なかったら、どのくらいの人間が頑張ってまだ働いてお金稼ごうとするかな?
もし世界最強で圧倒的に強かったらまだ強くなろうとするかな?
もししないなら、強くなるための武術、強い人には要らない物かもしれない。
お金持ちになるための武術、社会で成功するための武術もそうかもしれない。
私たちはやっぱり、そういう武術じゃない。
練習しても別に強くならなくていい。有名にもお金持ちにもならない。
でも、強さや有名やお金や社会に囚われなくなる。それが私たちのやり方。
自分自身の欲求をかなえるんじゃなくて、自分の欲求を見つめなおす自分になることが私たちの武術。
なぜなら禅だから。
仏教、タオ、儒教、三つの教が合わさって中国で禅になった。その一部が中国武術になった。だから私たちはこの三つの教と同じ。
社会での成功よりも、世界との調和を求める。
他のヒト出し抜いて自分だけ得しようとすることを人におすすめしない。
いろんな人が居て、いろんな考えがあって、西洋的な社会での成功の考えと、東洋の世界との調和の考え、 世界中でごちゃごちゃにシャッフルされた。
それは産業革命からずっと続いてるムーヴメント。いまはこれ「グローバナイゼーション」って呼んでる。昔は「近代化」と言った。
いまはマサイ族の人たちもみんなスマフォ持ってるって聞く。これもグローバナイゼーション。
アジアの武術でも同じこと起こった。明治のころ、日本人みんな西洋人の真似しないといけないと思って慌てた。だからみんな侍辞めて兵隊なった。
兵隊は近代武道作って世界に戦争しに出て行った。西洋と同じことしたかった。植民地持って貿易しないと、植民地されるって思った。
するかされるか、どっちかしかない。これ、近代化が選べって迫ってきた。
同じこと、世界中でいまも続いてる。
するもされるも嫌な人たちの中には怒って近代化絶対しないって人もいる。
なぜなら世界は近代化のためにあるんじゃないって思ってる。神様信じてる。
そういう人の中には、神様の教えをすごく大事にして、それを守るために近代化した人たちを攻撃する人たちも沢山出てきた。
近代化した世の中にたくさんの爆発物を仕掛けて、社会を破壊しようとしてる。
これも近代化への反応のひとつ。
社会の中で成功しようとする人たち、その社会を壊そうとする人たち、どちらの人たちも過激になってる人たちいっぱいになった。
私たちの考えはまだ、古いところにいる。近代化あまりしてない。
その世界から出てきて、急いで近代化しようとした人も居る。
ブルース・リーもそう。彼はドイツ人の血を引いてて、アメリカで生まれた。住んでたのは中国圏で一番西洋化が進んでた香港。香港は当時イギリスの植民地だった。
たくさんの西洋人は彼のことカンフーだと思う。カンフーする東洋のヒト。
でもカンフーの世界の人はそう思ってなかった。彼は西洋人から見ればアジア人の血引いてる。でも中国人からすれば外国人の血を引いてる。
ブルースは本当のカンフーを本当に習う時間は無かった。
もう大人になる前に一人でアメリカに移民した。子供の頃しか香港には居ない。
彼は香港でカンフー勉強してから世界に出たと思われてるけどそれは間違い。まだ子供のころにやったことがあるだけで、本当にやる前にもうアメリカの大学に行った。彼が覚えたのは子供が習うところまで。
彼は考え方がすごく近代化だった。
もし、伝統的な功夫の世界の教えを持っていたら、子供の頃に習ったことを、独りでアメリカに居てもずっとやる。
他のいろいろなことをしたりはしない。
それが本当のカンフーの世界では一番良いこととされてる。
前にここでも書いた神槍李もそう。先生に教えてもらえなかった名人の話たくさんある。
教えてもらえなかったら、教えてもらった一つや二つをずっとやる。それが一番いい練習。
答えはもうその中に全部入っていると考える。だからそれに気が付くまで追いかける。
あれもこれもあっちもこっちもやる人は、広がりは出ても深さや高さは出ない。
ブルースはまだ若くして亡くなる前、アメリカに移住していた本当の達人と会うことが出来た。歴史に残ってる本物のチョーすごい人。
入門をしたいって言ったけど、あなたはバランスが狂ってるからダメだと言われて返された。
その少しあと、ブルースは変死した。
もし、いろいろなことしないで一つのことを子供のころからずっとしてれば、バランスは崩れなかったかもしれない。死ななかったかもしれない。
だいたい中国の達人の話はそんな感じ。習った少しのこと、ずっと長いことやる。そのあとで別の先生に見つけられて、お前はすごいと言われて教わるようになって名人になる。
ここに中国の武術の思想がある。
社会の中での、自分の成功を求めていない。もっと大きな、正しいことのためにやり続ける。
それは人間の価値観からみたら正しくもよくもないかもしれない。得もしないかも。
でも、正しいとは何かが分かってる人が見れば、それは正しいとわかる。だから正しい道に導いてくれる。
強くならなくていい。勝たなくて大丈夫。私たちは自然に生きられる。
この考え方を、タオと言う。
正しいタオ、道に乗って歩いていれば、世間とは違っても世界とつながっている。
中国武術が学ぶことはそれ。
世の中のヒトやお金や有名になることがいいと思う。だからみんな彼らのことを馬鹿にして笑う。でも笑われてる彼らは一番世界とつながっているから正しい命を送ってる。そういう考え方をする。
だからお金も有名も求めない。勝つことも求めなくていい。
負ける時は負ける。全部は世界の流れが決める。それに逆らって自分のために捻じ曲げる必要はない。
ブルースの話もこれだったかもしれない。
彼は自分で勉強しないではいられなかった。だから手の届く西洋のこといっぱいやった。
もし、本当に世界につながることやってたらまだ生きてたかもしれない。名人の弟子になって達人になってたかもしれない。彼はすごく才能ある。
でもそしたら誰もドラゴン映画見ることは無かった。それはエンターテインメントの歴史にとってとても寂しい。
やっぱり彼は西洋人だった。西洋の成功哲学すごく熱心に勉強してた。だから彼はお金も有名も手に入れた。中国武術は教えてもらえなくて早くして亡くなった。近代化が、選べと迫ってきていた。人間どっちかしか選べない。
話は最初に戻る。
だから私たちの武術は、お金も有名も勝つことも追いかけない。社会で成功することは教えない。それはサラリーマンの世界で勉強すればいい。
私たちはサラリーマンと違う世界の人たちのことをしてる。その人たちはすごく昔からこの考えを持ってきた。紀元前からだからね。
もし、世界一お金持ちで強くて成功してたら、もうサラリーマンの極意勉強しないかもしれない。
その時に求めるのはなんだろう?
芸術? 歴史? 社会に振り回されない考え方? 自分の心の欲求に振り回されない生き方?
それとも過去の世界とつながること? それを未来に引き渡すこと? いまが良ければすべていいではないと思うかもしれない。
私たちの武術はお金持ちでも成功でもサラリーマンの極意でもない。
芸術と歴史と社会や自分の心に振り回されない生き方だけやってる。
持ってないから持とうじゃなくて、持ってないままで幸せに生きられることをする。
昔、ヨガの先生と会ったことがある。彼女はたぶん、今どきのモダンヨガのヒト。
彼女が言う「あなたにプラーナは見えますか?」
プラーナはたぶんオーラみたいな物。私が気功や禅の修行をしてるから、彼女はそれに物理的な証が欲しいと思った。
でも、彼女の考え方はとても近代化のものだと思う。
古い私たちの考え方では、魔法は禁じられてる。それはいまでいう近代化の考え方と同じ。
もし彼女が思ってるみたいに何か霊とか不思議な物が見えることが修行の証だったら、目が見えない人は一生修行の結果でないことになる。
もちろん、修行の結果目が見えるようになっていくならそれが一番いいと思うけど、便利のために修行はするという訳でもないじゃない。
目が見えない人がこれ修行したら見えるようになりますよと宣伝するのだったら、もしならなかったら問題だよ。修行が無意味だったことになる。
修行はそういうことじゃない。目が見えない人でも、そのままで生きることに幸せが見つけられると考える。それが大事。
あれもこれもどんどん足してゆくではない。
他のマーシャル・アーツは別のこと教えてると思う。相手をやっつけろ! こうやってひっくり返せ! だまし打ちだ! ルールを破れ! 勝つんだ! お金手に入れる! 有名になる! 社会で成功する! すごくジェット・セット。いまは21世紀だからね。
でも私たちそれはしてない。
お金なくても幸せ、有名ならなくても幸せ、勝たなくても幸せ。そういう生き方を学んでゆく。
ルール破らなくても幸せ。だって、社会に囚われないで世界を見れば、自然のルールいっぱいある。重力は働く、季節は変わる、それに従って世界の一部として一緒に生きてゆくのが私たちの考え方。
その生き方したい人だけ、一緒のことやってくれればそれでいい。それでみんな自分が幸せに生きてゆくやり方が見つけられる。
私たちにとって一番大事はそのこと。