また、昔の武術雑誌などをめくっていますと、やはりいわゆる内家拳ばかりがメインストリームだった時代の独自の偏向した価値観が蔓延しております。
その一方で関心が無かったそのような物を読んでみると、発見する物もあったりします。
今回見つけたのは、太極拳に関する研究記事でした。
そこでは外家拳は外勁、内家拳は内勁を使っているというおなじみの昔の間違いをきっちりと踏んで記事を書いていました。
それだけでは面白くもなんともないのですが、面白いのはここからで、太極拳の中でも古い陳式は外勁に当たり、それ以降の物からが内勁であると書いてあったことです。
これは非常に面白い。
つまりは陳式はまだ少林拳のカテゴリーにあるという言いなのですが、この筆者がその論拠の一つとして挙げていたことに手形があります。
少林拳および陳式と、各派太極拳の開掌の形を並べて、それぞれ穴書が開いているかという視点で解説をしていました。
この見方は当時の中国武術情報でまま見られたものですが、まさに形によって穴所が開いているかどうかをはかるというのが外形的な発想です。
形などに見えずに、穴を開き勁を働かせるというのが内勁だと私は解釈しています。
さらに、少林拳の掌では指がそろっていると書いているのですが、それはそろえる手形もあるというだけで、虎爪掌と言って思い切り指を開いた手形も存在します。
このような知識の不足が、やはり少林拳を理解するまでやっていないのに一方的な太極拳の視点のみで適当な論をでっち上げているために起きる草創期の誤った情報発信の典型だと思わせられます。
さて、ここからは私が勉強不足から適当な理論をでっち上げる番なのですが、実はこの記事の論法に則っていうなら、陳式より後の時代の太極拳こそが実は、外勁をものすごく活用した拳法であるという可能性が高いと私論の試論があります。
と、いうのも、太極拳こそがもっとも外見の動きと勁が連動しているもの、つまり外から見える拳法であり、またある人の体験によると、有名な太極拳の大家と言われる人々が実はもろに外勁を使ってきたというのです。
少林拳の場合、完成形としては心意把という物があり、そこに至るまでの過程、あるいは別の伝として外の形に伴った発勁があります。
しかし、もっとも根本であり大切なのは心意把であるという意見もあるので、外の勁自体は実を重視して喧伝しているということはあまり聞かない。
さらに言うと、実はそれを看板としているのは回族長拳であり、ここで少林拳と回族拳法の混同が見られます。
しかもその回族拳法でもそれらは最後には心意拳の内勁に昇華されることになります。
となるとやはり、最後まで大家が外勁を使っているのは、やはり太極拳である場合が多いように思えます。
これに関する憶測をくだんの記事から読み取りますと、太極拳が当時実戦性をして急速に至った段階に、実はモンゴル系の組技やシュアイジャオ(中国式のレスリング武術)が取り込まれていたことが書かれています。
つまり、打つのではなく、あの独特の推手という競技を通して太極拳は名を成したのであり、その勝利の原因には初めから内勁の武術ではなくて組技の研究があったのだということです。
中には、現代ではあまり見られない腰投げなども行われていたと言います。
これは嘉納治五郎が当身を禁止した柔道ルールを強いて古流柔術諸派と試合をしては、レスリングの技で倒してきたという事例とも酷似しています。
つくりや崩しを用いる推手での投げという勝敗設定においては、確かに外勁の活用余地は非常に大きかったのではないかと思われます。
総合するに、太極拳は名を挙げた段階ですでに格闘技要素がとても高かったのです。
少林拳、および記事によればまだその段階にあるという陳式においては、心意把の勁のほうが重視されていた。これは内勁であり、形の持つ力ではありません。格闘競技には向かない。すたすたと歩いてきた人がトンと触ったと思ったら脊椎が折れていたというようなオーソドックスな古伝拳法では、競技が出来ない。
なので、格闘性の高いそれ以降の太極諸派においては、形がより明確化して行ったということなのではないでしょうか。
この記事において面白いのは、それら時代を経て変遷していった太極諸派の一つの高峰として、武式を挙げていることです。
これを精妙に過ぎて普及に向いていないと称しています。
そこで思い出しました。実は私はその武式を学んでいたことがあるのです。
つづく