この記事を書いている日の前日、強い台風が通り過ぎてゆきました。
その日の夜中、私にしては珍しく目が覚めました。
ひどい疲労と頭の重さを感じたので、もっと眠ろうと思って寝た後、いつもの時間に起きてニュースをつけると、ちょうど断眠したあたりの時間に台風が通過していたことを知りました。
天気は回復していましたが、頭に鈍い痛みがありました。
その痛みと同時に、身体の内側に震えるような神経の疲労があり、まるで二日酔いになっているようでした。
その消耗の名残は、一日たったいまでもあります。
一般に、気圧が重くなると頭痛が起きることがあると言います。
これは体質だという説も強いのですが、実際の所はっきりとした原因はまだ分かっていないのだと聞きました。
気功の考えで言うと嵐と言うのは自然界の五行のバランスが崩れている状態だと解釈できます。
人間は自然と無意識に対応しているので、その乱れが体に悪い影響を与えるというのは不思議なことではありません。
そのようなことがあるため、気功には室内で行うのに適したものや外で行うものの区別があり、環境も自分が良いと思ったところで外の物を内に取り入れるようにして行うのが良いとされています。
そして、五行が乱れているときは外の物を取り入れないようにとも。
私は気功をするようになってから、この気圧に頭痛が反応するという現象が起きるようになりました。
やはり、身体が外に対応するようになったのでしょう。
今回のダメージがことのほかひどいのも、12日間続いている雨天の止めに大型で強い台風が上を抜けていったのだから当然と言えば当然です。それだけの重さが体にかかり続けていたのですから。
台風が通るとそれだけでダメージを受けるのでは気功などいいところがないではないかと思う人が居るかもしれませんが、だとしたらあまりにも早計です。
気功と言うのは、元神という身体の本能の部分を活性化させることを目的としています。
それはつまり、内にある動物の能力を回復させるということです。
ひどい天災が起きる前に、動物がそこから逃げ出したという話を聞いたことがないでしょうか。
自然災害によって体が不快を感じるという知覚力は、本来ならそれを避ける支度を促すための予知として働いたわけです。
ただ、生活様式が現代人の環境であるから風にも雨にもやられなかったわけで、野生の獣ならそれにさらされてしまっていたわけですから。
気圧の重さを感じるというのは、武術の上でも役立つ気功の能力です。
中国武術はやみくもに力強くて素早く、雄々しいというような印象をお持ちの方もあるかもしれませんが、それは一面にすぎません。
気功で養う内側の力には非常に繊細な面があります。
中国武術では力を抜くことや心身を静めることを重要視する部分が核心であったりもします。
例えるなら、振りかぶった手の上に蝶がとまればその蝶の重さのぶん、腕が下に垂れるような、静かな力の抜け方が内包されていてこその中国武術です。
速さと力強さは拳法の一部に過ぎない。
特に私は足の遅さには定評があって、歩いても歩いてもいつまでたってもどこにもたどり着かない。ひどいときにはしびれを切らした友達が後ろから押してくれるほどです。
これは、中国武術の正しい歩き方をしているからです。
非常に調子のいいときには、蜘蛛の巣にぶつかるとその弾力で跳ね返されて後ろに押し戻されることがあります。
ベンチプレスで150を超えた重さを挙げられるのも、自分より大きな人たちを触っただけで飛ばせるのも、この遅さと静かさがあるからです。
エゴの喧しさを静めると、地球に働いている様々な気の流れが感じられるようになる。
気とは力のことです。
地球上には常にたくさんの気が働いている。重力は常に我々に対して上から下に働いています。
自分の中の我がままで管理されていない力を捨てて重力に任せれば、動きは重くなります。
このための静けさに入ることを、入静と言います。
これは中国で修行した先生から習った言葉なので、もしかしたら日本語にはない言葉かもしれない。
この入静に身を置いて暮らす習慣をつけると、自然の流れの一部として生きることが出来るようになるとされています。
我儘なエゴに振り回されて力尽きるまで暴れまわる生き方ではなく、あるがままの世界と共に生きることになる。
ですので、当然世界の循環の一部として異常が起きれば、それは自分にも起きるのでこのように痛みも感じ、消耗もします。
このような陰と陽のサイクルの中に、我々は自分の命を生きています。
気功や中国武術というのは、エナジー・ドリンクや護身術とは違います。
これらは共に一つのライフスタイルです。
なのでうろたえる必要はない。
感じる身体と動かない心。
この二つをしてしっかりと生きてゆくことがよしとされています。