北海道からの学生さんが来て練習をしました。
遠方なので数か月に一度の練習になるのですが、ちゃんと前回やったことを自分で洗練してくれていて、良い物に磨いてくれていたので大変に嬉しかったです。
前にやったときは右手と左手の区別もついていない様子だったのに。
安心して今回は套路に入れました。
この学生さんは非常に律義な人で、いつも気を使って北海道からおみやげを持ってきてくれるのですが、そんなにしていただかなくていいと言っているのに今回もおいしい物を沢山持ってきてくれてしまいました。
その中で一番驚かされたのが丸のカニです。
なにせ底辺で暮らして居るわ食べ物に美味しいだ不味いだ言わないでなんでもありがたく食べて暮らしてきている私、そんなものいままで食べたことが無いどころか食べることがあるとも思っていない。
どうやって食べる物なのかもわからず戴いた傍からしっかり食べ方をレクチャーしてもらって、帰宅後即時いただきました。
これが、おいしい。
本当になんの味付けも要らない。
ただ身をほぐして食べるだけ。
殻を割って食べる。殻を割って食べるの繰り返し。
解すに虫と書いて蟹とは良く言った物です。
こんなにおいしい状態で生きていたら、どれだけ外を殻で覆っても狙われるだろうにカニは気の毒だなあ。もっとマズければ誰にも獲られないのに。などと思いながら憑りつかれたように食べ続けてあっという間に大きなカニを一杯完食してしまいました。
ミソの部分というのをまともに食べたのは大人になってから始めてなんじゃないかなあ。頭が痺れるような強烈な刺激がありました。
すごくおいしい。
時間が遅かったので、食べてすぐに寝たのですが、明けがた起きると体調にすごく影響している感じがしました。
何か元気が体内を激しく巡っているような感じが。
何かの命を、丸々全体でいただくということはこういう力に繋がるのではないかと思いました。
もちろん、食べたのは可食部分だけではあるのですが、それでも端から端まで一つの完結した小宇宙である命を一つ自分の内側に取り込むと、それが端々まで自分にいきわたるような気がするのです。
もちろん、子牛を一頭丸々食べるようなことは出来ませんが(なにせ吉野家さんでは小盛りのご飯をさらに半分にしてもらうくらいしか食べられない)、例えば魚とかなら頭から丸々一尾を食べることが出来る。
同じ量を食べるにしても、その丸かぶりというのは身体にとりこめる力が違うのではないかな。
よく卵は栄養が備わった完全食品だといいますが、そういうことではないか。
そう考えると、漢方や中国の変わった料理にあるように、希少部位や皮などの捨ててしまいかねないところをいただくのも身体に足りていない部分を補充するのにすごく良いのではないでしょうか。
最近、スーパーで見かけるドラゴン・フルーツ(サボテンの実)にすごく惹かれているのですが、あの大ぶりの不思議な形の植物を丸々いただくと何かすごく体内に取り入れられるものがあるような感じがして仕方ない。
外にある力を内側に取りこむ。気功の原初的な発想とはこういう物であるのだと思われます。