ゴールデン・ウィークのほとんどの日はレッスン日です。
熱心に勉強してくれる皆さんのおかげです。
二期生の皆さんも、そろそろ進捗して兵器や易筋に入る人たちが出てきました。
しかし、その前の段階に苦労している人が多い。
そこは、いわばスペルを覚えている段階。
新しい言葉で使う基礎の部品を覚える段階なのですが、ここでみなさん中々アルファベットを覚えない。
順番を覚えるのもおぼつかない。
あるいは癖字で書いて違う字にしてしまう人も少なくない。
どうしても自己流の見たことも聞いたこともない怪しげな動きに勝手に変えてしまうことがある。
ただプレーンにその形だけをなぞればいいのに、力んで変な力を入れてその段階で力を出そうとするとこのような結果になってしまいがちです。
そこはあくまでただのアルファベットの段階で、それを並べなければまだ単語や文章にはならないというのに、無理にそこで通じさせようと変なことをしてしまう。
これはね、いわばマヨラーなのです。
どんな素材や料理が出てきても、持ち込んだマヨネーズをぶっかけて自分の知ってる味にしてしまう。
まずお肉や野菜をテーブルにおいてからお鍋を持ってきて入れましょうとう順序なのに、目の前に置かれるや否や生の豚バラや魚介にマヨネーズを盛って食べ始めてしまう。おなかを壊しますよ。
きちんと出汁を取り、お湯を沸かし、灰汁を取りながら煮込んでゆくという段階を待てない。
これがエゴなのです。
私自身は中国武術を学んだ時にはこの傾向は弱くて、格闘技とはまったく違う物をやるのだからと慎重に取り組んだのですが、中国武術の中で別の門にシフトした時がきつかった。
よりによって相性最悪の脆勁で短勁を行う拳法から、長勁の蔡李佛に移るという絶対混ぜてはいけない移行をしたので、身体の中で勁を繋いで切らないというのが初めはまったくできませんでした。
ついつい短い勁を瞬発させて切ってしまう。
こうなると、畜発を繰り返さないとならなくなり、蔡李佛の特徴である無尽勁という常に発勁した状態が作れない。
これは、私のエゴが武術を汚染してしまっている訳です。
歴代伝わってきている洗練に対して非常にもったいないことをしています。
たかだか三十年しか生きてない小僧の浅知恵で、本物の伝統は越えられない。
先生に直してもらって、ようやく掴んでからが本当の理解の第一歩でした。
そのためには、ある程度学習が必要になりました。
それまでの自分の概念の外にあることを行うには、持っていなかった感覚に導かれる必要がありました。
その感覚に身を任せると、非常に気持ちが良い。
のびやかで、透き通った感じがします。
エゴとは心の力みだと言ってもいいのではないでしょうか。
心身ともに力みを抜き、のびやかに自然の力に任せることが出来た時、内側に自然を感じることが出来ました。
その力の働きのままに身体は動かします
自分のちっぽけな考えで逆らってはいけない。
自転車やスケボーに乗ったり、水泳をしたりするのと一緒です。
しかし人間、自分の肉体を他人が作った他者の仕組みで動いている物だと思っている訳ではないので、最初はどうしてもマヨラーになってしまいます。
マヨネーズという既知の概念で染めたくなってしまう。
それを辞める心が求められます。
勇気をもってマヨネーズを捨てて素材の味を感じようとしたときに、そこにある自然の味わいが伝わってきます。
これを中国武術の味道と表現します。
中国では机以外はなんでも食べると言います。
そこからが始まりです。
自分のエゴで出来たマヨネーズの味だけを食べている間は、マヨネーズの味しかしない。
マヨネーズの世界を離れて気持ちの良い世界に移行することに、この味道の趣旨がある。