生徒さんからの宿題がまた増えてしまった……。
前に渡された外国語の本たちを読まない内にさらに追加の本が渡されてくる……。
でも、その中に日本語で書かれた医学関係の本があったので、先回しに読み始めました。医学的なアプローチからうちの勁の仕組みを考察せよというお題なのだと思われます。
ブログのネタにもなるし、ありがたいことではあります。
さっそくそこからの拾いネタを出しましょう。
まず、勁というのは軟組織と言われる部分に宿る物だというのが私の見立てです。
というか、その仮説があるから私に本を回してくれたのでしょうけど。
えぇ、少林で言う「膜」というのがどうもそうなのであろうかと思われるわけです。
で、その膜のことを調べているうちにわかってきたのですが、骨もまた成長をするというのです。
いや、そりゃ骨折すりゃ治るのだから新陳代謝してるのは当たり前なんですけど、ちょっと見落としがちなことでした。
しかもそれは、軟組織、A・K・A「膜」の状態と関係があるというのです。
この膜の伸縮によって、骨が代謝した後の形状が変わるため、人間の骨格と言うのは成長期が終わったあとも定期的に変化しているそうで、骨を触った時にある突起なども、恒常的にあるのではないそうなのですね。
それでね、私がたまに書く、換勁によってたまに換骨が起きて痛い、というのは、単に関節部の据え付けられ方が変わるのではなく、骨の経常その物がどうも実際に変わっているようなのですよ。
膜の遣われ方によって骨の形が適応して変形するそうで、これはまさに、古代から言われていたことが裏付けられたと取ってかまわないのでしょう。
そして、こうなると連想されてくるのが中国の骨相という考え方です。
私は正直、武術をやってるだなんだという人の立ち姿をみると、おおよそできるかできないかということはなんとなくわかってしまいます。実は。
やっぱりね、中身が無い身体はそういう姿勢と体型をしています。
この辺りは単に偏見からくる決めつけになりかねない危険な部分なのですけれども、中国では古代よりこういう研究がデータを取って積み重ねられてきたのです。
中国の小説などを読むとよく、竜顔であるとか燕目、鍋底顔に赤面、膝まで届く長い腕や尻尾の名残などと傑物には身体的な特徴が極めて詳しく表記されています。
これは、骨相によって人間の性質が分かるという価値観があるためです。
当然功夫の世界でも同様で、私などは虎足と言ってダメな骨格をしているので強力な矯正が必要となりました。
それとは真逆に、チャウ・シンチ―監督の映画「カンフー・ハッスル」では幼少時の主人公が「この頭の形は素晴らしい。お前には武術の才能がある」と言われます。
こないだ観たクレヨンしんちゃんでは、しんちゃんの顔の肉を触った老師たちがそのカンフーの才能を見抜くと言う描写になっていました。
顔の肉も軟組織ですから、これは同じ事を言っていると解釈も出来るでしょう。
このことは神仙の姿や仏様の姿においても表現されています。
異様に長い頭や膨らんだお腹などは気功的な意味があります。
また、仏様の螺髪と言われるあの髪型は、パンチパーマではなくて智慧がありすぎて脳みそが外に出てきているのだとされています。
実際にそのような外付けハードディスクのようなことが人体に可能なのかは分かりませんが、自分の内側だけではなくて、外部に記憶媒体持つことを表現しているということの表現だと解釈することも出来るかもしれません。
なにせ識字率が極めて低い時代、忘れてしまったことを思い出せるということは魔法のようなことだったでしょうから。
ちょっと話がずれました。芸術的表現ではなくて、中国ではダイレクトに本当に身体が能力を表現していると言うお話でした。次回に続きます。