そもそもが、社会に適応しずらい人や、疑問を感じている人たちに心地よい暮らしを提供するためにいまの活動を始めました。
発達障害者や犯罪傾向の強い人、また精神に病を抱えた人が親しい身内に多かったことがきっかけです。
自分自身もまた、心身がすり減りきったところを気功と内功武術で回復させてもらったことも非常に大きな物でした。
しかし、実際には問題の大きさに対して私の手の及ぶ範囲はあまりに小さい。
いつも悩んでばかりです。
けれども、そうやって悩んだときに外に出ると、風の匂いに季節の働きを感じ取ることが出来ます。
私がどれだけ心の中で煮詰まっていても、世界は今日もあるべくように働き続けています。
間違いを犯すのは人だけだ、という荘子の思想を改めて感じることが出来ます。
世界に働いている力を感じれば、肉体は自然に喜びを感じ始めます。
そうして私の心にも循環が取り戻されて、また気持ちの良い暮らしの中にペースを取り戻してゆける。
この、世界と協調して命の喜びを感じられるということこそが、私が学んで得た最も大きなことなのではないかと思われます。
武術というのはそこに至るまでの階梯であってもいい。
もう、武術としての武術はまるで必要のないものです。
先日、いつものようにベンチに座って一休みしていると、足元に雀が一羽やってきました。
私の靴の間でなにやらぴょこぴょこ飛んで遊んでいます。
そのうちに、私の顔の前にまでまっすぐ飛び上がったり、私のベンチの横にやってきたりしました。
何やら機嫌よく遊んでいるように見えました。
私が拳を打つのも同じことです。
自然の中に生きる命の喜びを持って、自由に身体を伸ばして世界を感じて、鳥が舞うように遊んでいる。
やはりそのような物があるからこそ、私はいまこうして日々を幸せに暮らせているのです。