本日も天気に恵まれまして、夏空の下を思う存分バイクで走り回って仕事をしてまいりました。
本来私は気の固摂作用が弱く体液が漏れ出やすい体質です。
これ以上体内でリンパが漏れれば、血栓の濃度が高まって突然死への可能性はより高まります。
そのために水分の補給を怠らないようにしないと死への一本道の気候なのですが、あまり汗をかきません。
びろうな話ですが尿や便の量も減っています。
もともとはすごく出る方なのに。
これはおそらく、身体が血栓の発作を避けるためにこのようにしているのでしょうね。
肉体の営気が生きようとして働いてくれているのでしょう。
私自身に未練はなくても、本能は生き続けようとしている。
世界には、命が満ち溢れています。
草花が育ち、虫たちは飛び、鳥や猫も生命の営みを謳歌している姿が実に盛んに見られる季節です。
風の感触の一つにも、世界の気が感じられるほどです。
しかし、人間の社会だけに囚われてしまっている人にはそれを感じることが出来ない。
人の動きばかりを追いかけ、気にして、人に勝り、人を脅かし、欺き、操って利用することばかりに執着している人が沢山います。
そういう人がやる武術は、人とのかかわりの中で優位をとり、自分の弱さや不安をごまかそうとするばかりの物であることがあります。
人をだまし、陥れて人から勝ちを取ろうというような上っ面の技ばかりをやっている。
それではこの生命の喜びに満ちた世界を感じて、その喜びに共鳴することは出来ません。
軍事において勝るための兵法やただの護身術ではなく、正統な中国武術としてなら、どうしてもその生命の喜びの部分を感じられなければ甲斐が無い。
それはオカルトでも神秘でもない、肉体との協調です。
肉体とは自分の中の自然です。
外部の自然と内部の自然は繋がっている。
そこに自我を協調させることで、人は自然の真理と繋がることが出来る。
このようなことを、哲学では芸術と言っています。
武術を芸術と出来た時、中国武術の真価が顕れる物だと思っています。